『医道(いのみち)』

『医道(いのみち)』 2014.3に上梓した拙著『良医となるための100の道標~研修医諸君!本音で医道(いのみち)について語ろう~』に収まりきらない話や、皆さんからのご意見をご紹介させて頂きます。

『日経メディカル』広告として、自分の記事が使われていました。月の閲覧回数は一位になっていたので、そのおかげかもしれません。
13/09/2024

『日経メディカル』
広告として、自分の記事が使われていました。
月の閲覧回数は一位になっていたので、そのおかげかもしれません。

15/07/2024

『終活』
本日は朝礼で講話を担当致しました。

本日の内容は終活をテーマにしました。

自分のことではなく、3月に他界した父の生活支援とそのときの対応について、思うことをご紹介させて頂きます。終活というより予期せぬ父の病状に振り回された状況の紹介でもあります。

終活というと少々重い話にはなりますが、我々の仕事である医療は生を扱う仕事であると同時に死と向き合う仕事でもあります。日々の診療の中で患者の病態を認識した時に三カ月先、半年先の死を意識し、それをどのように伝えるべきか、どう支えてゆくべきかを悩むことがあります。死の受け入れを患者さん自身や家族に伝えてゆくこともある意味、終活であると思います。

終活については朝礼の講話ではかつて今野先生が映画ジャックニコルソンのバケットリスト(棺桶リスト)の講評を、寺西名誉院長がご尊父の看取りを、在宅ケアの佐藤先生がACPについて取り上げられていました。

最近は終活という言葉も日常で目にする機会も増え、終活ノートやエンディングノートなども容易に入手することが可能になっています。終活は死が迫ったギリギリの状態で行うものではなく、元気なうちから準備するべきで、具体的には65歳を目安に準備を始めることが推奨されています。

その内容は生前の証を残すこと、伝えたいことを書き溜めておくこと。故人しか知らない知人の連絡先の確認。保険や貯蓄など財産がある方はその整理や相続、持ち物は思い出や遺産として残すか、思い切って断捨離。最近はネットやブログなどのパスワードの管理や投稿そのものを整理することも推奨されています。

父は高齢になり雪の多い北海道で過ごすことはもう無理と6年前に福島に引っ越してきました。息子には迷惑をかけないを信条にしていて、三春の高齢者住宅で頑なに独居で自炊して生活していました。因みに、扶養家族になることも固辞して、自立を目標にしていました。

父の終活で感じたことは高齢者が健康を維持するために大切なことは「筋力の維持と食べられる歯」すなわち食べて、動けないと生き続けることができないのだと実感しました。サルコペニアと仲良く付き合い、80/20に近づけることが大切です。(維持することが大切。令和4年の歯科疾患実態調査によれば、8020達成者は**51.6%**だそうです。)食べられることが長生きの秘訣なのでしょう。もちろん、認知症がないことも大切なことですが。

父は高校教師でしたが、山登りが趣味で、足腰には自信があると言っていました。しかし、歯を失ってからは入れ歯をしてもかみ合わせが悪く、食べることが出来なくなりました。恰幅の良い体系でしたが急速に痩せてしまい、低栄養となり、電解質異常で入院するに至りました。短期間に二回入院することになり、この時点で、一人で生活することは限界と判断し、高齢者住宅を出るための整理を始めました。高齢者の独居は悲惨なもので、部屋に入ると足の踏み場のないような雑然としていて、ほこりと悪臭もあり、どこからかたずけてよいのかわからないほどでした。幸い兄が来てくれていたので、二人で二週に一回三春に行って片づけをして、10回ほど清掃を重ねて原状復帰に近づけました。最後は業者に入ってもらって、粗大ごみの廃棄とリフォームをして頂きました。

父は結局、三春の高齢者住宅を半年ほど開け、戻ることなく、第二病院からグループホームに入居しました。施設での生活にも慣れてきたかなと思った矢先、あっという間に歩行困難歩になり、歩行器のレンタルを予定している間に、すぐに寝たきりに近くなってしまいました。座位、臥位で食事をするも、次第に食べられなくなりました。結局グループホームに移り、8カ月でなくなりました。

最後は私が診取り、死亡診断書も私が書きました。最後の二週間では少しの水しか飲めず、ほとんど寝たきりでした。前日に面会した時には脈も弱くなっていたので、その時は近いなと思い「いままでありがとう。もう逝ってもいいよ」と言うと少し目を開けてうなづいてくれました。92歳で老衰でしたので、大往生だと思っています。我儘で、無理を言うこともあり、周りの方々にずいぶんと迷惑をかけてしまったと思います。この場をお借りして御礼とお詫びを申し上げます。

父は無宗教で、葬式不要、戒名不要と言い、簡素な家族葬で見送ってくれとその費用も僕が預かっていました。父なりの終活ということだったようで、葬式の費用や火葬・納骨の手続きの資料をあらかじめ準備してくれていました。父は特に財産、負債もなく、北海道の自宅も処分してあったので、死後に事務的な手続きは最低限のもので済み、生前の父なりの配慮に感謝した次第です。

亡くなって、すぐにしなければいけないことは葬儀会社を決めることと、火葬の日取りを決めること。父の場合、三日後に火葬が決まり、僕の仕事も忌引きは取らず、最低限の時間休暇で対応することが出来ました。
そして、時間をみて市役所へ死亡届けの提出は一週間以内。
年金や保険の終了手続きは二週間以内。

(義父は
第二病院で亡くなったのですが、まだコロナの最中で火葬が混みいっていて、一週間くらい後になりました。そうすると安置も冷温だけでは対応できないということで、エンバーミングを行って頂くことになりました。血液を抜き取って防腐剤入りの着色液を環流することで、からだの腐敗損傷を防ぐことができます。海外で亡くなられてた方が日本に輸送されるときはこのエンバーミングを施されるようです。)

火葬までの日程で何かできることはないかと考え、
父は戒名不要とは申していましたが、戒名ぐらいつけてもらっても良いかなと思って、ネットでresearch してみると一見さんは20-50万円程とあったので、近隣のお寺を回って、戒名と永代供養が出来るか確認すると戒名だけで100万円と、一見さんで足元を見るような感じだったので、諦めました。

(その他に何か出来ないかと考え、子どもたちの知らない爺ちゃんの姿を思い出を辿りながら文章にまとめて、家族に見てもらいました。自分が覚えている一番最初の父の姿、三歳頃でしょうかね?家族旅行のこと、父がライフワークと言っていた死刑廃止論、ドイツ語を勉強するために夏休みを利用してドイツに何度も語学留学したこと、マッターホルンにポーターと通訳なしで登ったこと、戦時中疎開していたいわきでの生活、三春での生活などをありし日の父を偲びながら、思い出を書き綴り子供達に伝え、父へのこの世の手向と致しました。)

さて納骨をどうするかと思案し、いろいろ調べてみると、お墓を作らずとも、市で運営している合葬墓というのがあって、そこのロッカーに骨壷を預けることが出来るようで、お願いすることにしました。最近は少子化や転勤で、墓仕舞いする方も多くなり、合葬墓の需要も高いとのことでした。父が用意していたのは40万円、充分に事足りる金額ではありました。

火葬の際には、棺に花の他、大好きだった山の写真と勉強していた、六法全書、ドイツ語辞書を入れて、手向としました。大きかった体が痩せて、そして骨になると物に変わってしまいます。
その後、骨拾いでは最後に骨壺にしまう部分が喉仏ですと言われたのですが、なぜ甲状軟骨が焼け残るのかなと不思議に思い、その後に調べてみると、喉仏と言っているのは実は第二頚椎の軸椎であると言うことが分かりました。医療関係者でない方に軸椎と言っても分かりにくいため、喉仏と説明しているようです。軸椎の形が坐禅を組んだ姿勢に似ていることから、骨の中で大切な部分とされているようです。

宗教によっては故人の見送り方が違うのでしょうが、仏教では亡くなってから49日目に仏様のいる極楽浄土に向かうとされています。四十九日までの間は7日ごとに閻魔様の裁きを受け、そして49日目に極楽浄土に行けるかどうかの最後の審判を受けるのです。四十九日までは、亡くなった人の霊は行き先が決まらずに、この世とあの世の間をさまよっているとされています。そのため、遺族は7日ごとの裁きの日に合わせて法要を行い、故人の霊が無事に成仏できるよう祈るのが昔からの習わしでした。
義父母の葬儀の際にも菩提寺のお坊さんからも法要の際にそのような講話を頂きました。

同じ時期に親戚で亡くなられた方がいて、キリスト教の信者の方だったので、葬式と納骨について伺いましたが、火葬のあとに教会に納骨してそれでおしまいということでした。
キリスト教の死生観において重要なのは、「死を『悲しみ』だけではとらえない」ということ。すなわち「キリストを信じ、善き行いをした人は、天国で苦しみのない永遠の安らぎと喜びを得る」ことができるので、家族とは離れるが、魂は救われると考える。
そのためご遺族にかける言葉も違います。「お悔み申し上げます」「ご冥福をお祈りします」とする表現はキリスト教の葬式では使わず、RIP Rest in peace「故人の安らかな旅立ちを」「安らかな眠りをお祈りします」などのような表現が使われます。

宗教に関わらず、故人との別れは、実は残された家族がどう考え、どう受け入れるのかということが大切なのかもしれません。

合葬墓に納骨を済ませて、これですべて終わりだなと思っていたら、6月になって納税の督促状が届きました。市役所に問い合わせると税金は1月1日でcountされるそうで、三月まで郡山市民として登録されていたので、支払なさいとのこと。ここで驚いたことが死亡により戸籍の消失と徴税のリンクがされていないこと。死亡手続きの際にも徴税のことは一切説明されなかったこと。年度が替わって、故人の籍はないので税金を支払う義務はないのではと聞くと、「では裁判所に申し立てをして負の財産放棄を申請するように」と。正の財産も同時に放棄することになるとのことだが、もともと正の相続する財産はないので、では手続きをするようにしますと伝え、手続きをすることにしました。いろいろな手続きもこれが最後ではないかと思います。

現在、母が大腿骨頸部骨折で外傷センターにお世話になっています。母は認知症で、息子の顔も忘れてしまっているので終活の準備は必要ありませんが、最後の親孝行だと思って、手の空いたときは兄と一緒に入浴や洗髪などの手伝いをしています。母の世話をすることが、母のためではなく、自分のためなんだと思えます。それほど遠くない先に母も他界するでしょうが、その時に、せめてもの親孝行ができたと納得できれば、悲しみも乗り越えることができるような気がします。これもある意味終活のあり方なのかなと思っています。

個人的な話になりましたが、話をまとめているうちに実は家族が当院や第二病院の多くの方々にお世話になっていることをあらためて実感しております。実母や実父だけでなく、義父、義母、兄、そして妻もお世話になっております。この場をお借りして衷心より御礼申し上げます。
以上です。

17/04/2024

『禁煙続けられています🎵』
本日の受診の患者さん二人から言われました。
一人目は40歳代の男性。初診時に基礎疾患に加え、喫煙されていたので、禁煙の必要性の説明をしました。
辞めるためには、決意が必要なんですよね。医者の前で辞めるって言うことは簡単です。ですから、奥様に宣言して下さい。
禁煙の必要性を説明(説得)して、「やめます」と言った時には、一緒にいらしていた奥様が泣き出して喜んでくれました。いつもやめてってずって言っていたのに、辞めてくれなかったのに・・・。
約束ですよ!ついでにもしその約束を破ったら、奥さんにバッグでも、宝石でも好きなもの買うって約束して下さい!「え!それは・・・」
そこまで追い込んでおけば絶対成功しますよ。
「わかりました」
それから、定期的に通院頂いていて、本日も受診。
「あれから一本も吸っていません」
奥様もにこやかにうなづいていらっしゃいました。

二人目は受け持ちの患者さんのご尊父。
患者さんが入院中に、お見舞いにいらしていて、初めてお会い致しました。患者さんの診察の際に、ご尊父の側を通るとタバコ臭い。
お父さんですね?タバコを吸われていますよね。今息子さんは病気と戦っているのです。この機会にお父さんも喫煙という誘惑と戦って、禁煙して下さい。喫煙は動脈硬化を進めて心筋梗塞、脳梗塞の危険を高めます。息子さんに心配かけないで下さい。「わかりました。やめます!」

本日、退院後久々に患者さんの診察の際に、ご尊父も一緒にいらしていました。 
診察が一通り終わってから、おもむろにご尊父から、「先生、話は違うけど、あれから一本も吸っていません。先生と息子の病室で指切りしてから、キッパリと辞めました。息子が頑張っているので、私も頑張らなければと思って辞められたんです。」
喫煙は百害あって一利なし。でも、喫煙は精神的依存が大きい。禁煙には動機付けが必要なんです。禁煙に必要なものはパッチやガムではなく、患者さんに納得できる動機付けなんですよね。その説明には時間はかかりますけどね。でも、一期一会だと思って、語りかけるようにしています。
そして何と言っても、患者さんから誇らしげに「あれから一本も吸っていない🎵」と言って頂けることはとても嬉しいことでもあります。

『久々の鹵獲品』退職された先生の引き継ぎで、初見の方の診察でした。40歳代で、高血圧、糖尿病治療を受けている方。左胸には銀色の箱がキラリ。このような治療をして、何歳まで生きたいと思っていらっしゃいますか?「うちは皆長寿の家系なので、85歳く...
17/04/2024

『久々の鹵獲品』

退職された先生の引き継ぎで、初見の方の診察でした。

40歳代で、高血圧、糖尿病治療を受けている方。
左胸には銀色の箱がキラリ。

このような治療をして、何歳まで生きたいと思っていらっしゃいますか?
「うちは皆長寿の家系なので、85歳くらい」
タバコを吸っている方が80歳まで届く方は少ないんですよ。喫煙されていた方はいましたか?
「確かに、吸っていても皆60歳前に辞めていました」

現行治療の意義、禁煙の意義を説明。
「・・・辞めなきゃいけないですね。いつかは辞めなければと思っていたんです」
辞められますか?
「大丈夫です🎵」
次回の診察を楽しみにしています。
「ハイ!」
指切りして、見送りました。

23/03/2024

『遺言』
 先日、膵癌の患者さんを看取らせて頂きました。
 非常に難しい病態で、化学療法を含め治療においてあまりお役には立てなかったと思うのですが、医療というよりどちらかというと寄り添い、勇気づけという意味合いで対応させて頂きました。
 患者さんはご自身の考え方をお持ちの方で、周りの意見があまり聞き入れてくれない方でした。でも、僕に対しては歯に絹着せず素直に接してくれていました。あまりにストレートすぎて、答えに困ることもありました。昨年暮れには「正直言ってどのくらい生きられますか?」医学生の息子さんの前でいきなり聞かれて、答えに困りましたが、「桜が見れるといいですね」とお答えしました。「分かりました。でも、最期は自宅で過ごしたいな。なんとか出来るようにして下さいね。」「分かりました。でも、もし病院でその時期を迎えるのなら、剖検もご提案させて頂きます。もちろん、お断り頂いても結構ですが、今から少しだけ検討しておいて下さい。」「分かりました。その際、子供たちも立ち会えますか?それが出来るなら考えます」「その際は、出来るように調整させて頂きます」「分かりました」
 その話から三ヶ月、病態は比較的落ち着いていて通院していましたが、ある日肺炎で救急搬送され入院して、加療していました。それでも、本人の強い希望で翌週の退院、在宅での看取りを準備していましたが、一昨日から病態が急変。ご家族に危篤のお知らせして、病院に来て頂き、病態の説明を致しました。
 現状では在宅に移すことは危険。今晩越せるかどうか?ご家族に集まって貰って、会っていただいた方が良いのではないでしょうか?このような状態で、申し上げるのも憚られるのですが、剖検についても併せてご検討頂ければと存じます。故人は自身の剖検をお子さん達に見て頂く機会を通して、これからの医師としての成長を期待したいと思っていらしたようです。本当はお子さん達が立派な医師となった姿を見たいという気持ちでいらしたのでしょう。でも、それが叶わないとわかった時に、せめてご自身の身体を挺して、お子さん達に医療教育の機会を提供したい、彼らの心にずっと生き続けたいと考えられたのではないでしょうか?剖検の持つ意味は、生前に治療することが叶わなかった病魔を取り除き、身体を軽くして、ご自宅に戻ってもらうと考えて頂くことも出来ると思います。もちろん、こちらからこのようなご提案をしても、ご家族の方々のご意向に沿わなければ、お断りいただいても結構です。みなさんでよくお考え頂き、お返事下さい。「時間はどのくらいかかりますか?」「通常、準備から、処置が終わって、戻られるまでに3時間くらいです。お看取りが夜間ですと、翌朝から開始することになることもあります」「分かりました」
 お昼にお話しをしましたが、夕方には心拍数が下がってきて、17時過ぎには心電図で基線がflat、心停止になってしまいました。ご家族の方が付き添っていらしたので、息はすでになかったのですが、ご家族がみなさんまだ集まっていらしていなかったので、死亡確認はみなさんが集まられてからでよろしいでしょうかと確認しました。じきにみなさんが集まられて、18時過ぎに死亡確認をさせて頂きました。
 それまでの間に病理の先生に確認したところ、17時過ぎになると、医師はまだいるのですが、助手が帰宅してしまうため、対応は翌朝になりますとのこと。
 死亡確認のあとご家族だけの時間を過ごして頂き、しばらくして、看護師さんがご家族の方に、剖検の確認をしてくれました。「お願い致します」というお返事を頂きました。     
 そこで、剖検の時間につき、翌朝からになりますが、半日お預かりすることになり、ご自宅に戻られるのが遅くなりますが、それでもよろしいでしょうか?もし、早くに連れて帰りたいということであれば剖検はせずに、ご自宅に戻られても結構です。「そうなんですか?それでは、もう一度皆で相談させて下さい」「もちろんです。どうぞ」
 一度退室して、ご相談頂きました。30分ぐらいして、看護師さんが、ご意向を伺いました。「やはり、故人の意向もありますので、お願い致します」
 心の中で生き続けたい。故人の意向を汲むということです、ご家族の方々の意見がまとまったようでした。すぐに病理の先生に再度確認の電話を入れました。「夜のこの時間からの剖検はやはりお願いできないのでしょうか?」「無理です。明日、朝からでなら、承ります」「分かりました。ではお願い致します。それと故人の遺志で剖検に医学生の息子さん達を立ち合わせたいとの申し出を承っております。お願いできますでしょうか?」「ご本人達もそれを望むのでしたら、構いません」働き方改革はこのような場でも変化してきているようです。
 ということで、12時間病院でご遺体をお預かりして、その間身体をアイスノンで冷やし、窓を開けて、温度を低く保つように致しました。
 翌朝お子さん達に付き添われて、故人は剖検に臨みました。「御尊父の気持ちはきっと、お子さん達に立派なお医者さんになってほしい、その姿を見たいということだったと思います。それが叶わぬ今、ご自身の身体を挺して、みなさんの心の中に生き続けたいと思われたのかもしれません。御尊父の想いを受け取って下さい。そして良い医師として成長できるように頑張って下さい。いつかそれを、御尊父に報告して下さい」「ハイ。ありがとうございました。お世話になりました」
 患者さんが亡くなられる時に、剖検を提案させて頂くことは多いです。でも、このような申し出は初めてでした。それが良いことなのか、僕には判断することはできません。でも、それが故人の遺言であり、それを受け入れるかどうかはご家族の方の判断に委ねられるべきことだと思います。医学生のお子さん達には拙著『医道(いのみち)』を差し上げました。「その中の剖検のところを読んで下さいね」と申し上げました。いつかみなさんも、患者さんに「剖検をさせて頂けませんか?」という口上を切り出すことがあるかもしれません。口上を切り出す側、受け入れる側両方の気持ちを理解していれば、きっと患者さんやそのご家族に寄り添い説明することができると思います。悲しみを乗り越えて、良い医師になれるように研鑽して下さいね。「ハイ」

『Accessibility』日経メディカルの不定期連載『実践!消化器ローテク診療』で書かせて頂きました。今回は趣向を変えて、Accessibilityを取り上げてみました。LGBTQsに対してもそうですが、声が出ないなど弱者といいますか持...
17/03/2024

『Accessibility』
日経メディカルの不定期連載『実践!消化器ローテク診療』で書かせて頂きました。
今回は趣向を変えて、Accessibilityを取り上げてみました。
LGBTQsに対してもそうですが、声が出ないなど弱者といいますか持たない方々に対する優しさを持っている我々が提供できるものってあると思います。
文字入力を音声で伝えるソフト『指伝話』。
こんな方法があるよと伝えてあげるだけで、その方の意欲が変わることがあるかもしれません。
寝たきりで意思の疎通ができないと思っていた方が、実はツールを使うと意志を提示できるということがあるかもしれません。
そんな可能性を信じて。
対象は喉頭がん術後で声を亡くしてしまった方。
ALS(筋萎縮性側索硬化症)、ギラン・バレー症候群、高次脳機能障害、小児麻痺、脳性麻痺、自閉症など。
患者さんや家族が意志を提示できないと諦める前に、われわれがこのようなAccessbilityがあるとを知ってもらうことから始めませんか?

03/01/2024

『美容領域で医学部2つ分に相当するような新規医師採用』
m3.comからの無断転載。
約200人がこの分野の専門医になるということか・・・。

 さらに臨床研修制度や新専門医制度においては、医師の地域偏在問題を修練中の医師の配置をもって解決しようという仕立てになっていることが否めないと指摘、「専門医制度と医師の地域偏在問題を絡めることで、専攻医から適切な教育の機会を奪うことがないよう切に願う」と求めた。国の支援の下、地方行政と産業と医療が三位一体となり、その地域ならではの、そして診療科別の特性を踏まえての、グランドデザインの創出から始めるべきと提言した。

 診療科偏在についても、新専門医制度の現行のシーリング等について、▽職業選択の自由を奪う、▽指導力のある医育機関における育成を制限する、▽医学部卒業生や臨床研修医が十分な臨床的 修練を経ずに保険診療以外の領域への大量流出(確定的な数値ではないが、2023年度の関係諸機関の調査で、美容領域で医学部 2 つ分に相当するような多数の新規の医師採用があった)につながる危険をはらむ、▽医師たちのモチベーションを下げる――と問題視した。

 日本医学会連合は、これらの問題について国民の医療ニーズに応えられるよう自ら検討するとともに、厚生労働省、文部科学省、総務省、内閣府(地方創生)、地方自治体、日本専門医機構、日本医師会などとの協議の場に加わり、意見交換や協力体制を構築することを要望した。

21/12/2023

『御礼』
胃カメラをした後に、患者さんから声かけして頂くことがあります。

「ありがとうございます」
「今までで一番楽でした」
「本当に内視鏡が入っていたんですか?」
「先生の内視鏡にぞっこんです!また受けに来ます!!」
「検査が楽すぎて、記憶がなくなるかと思うくらいびっくりした」

知り合いの方を通して、ご連絡を頂くこともあります。
本日はmailでご紹介者の方からご連絡を頂きました。

「これまでに経験したことがないくらい検査が楽で感動した。西野先生の胃カメラ検査を経験してしまったら、もう他の先生では無理だ。西野先生にお願いして本当に良かった」

お世辞もあるかもしれませんが、そのように言って頂けることは嬉しいものです。

次の検査のmotivationにもなりますね♬
頑張ります!

04/08/2023

『鳥肌モノ』
60歳代の女性。
消化器内科では脂質代謝異常で加療通院中の患者さん。
ご主人も当科に通院して、僕が加療していましたが、残念ながら別な疾患で、急逝してしまいました。もう二年以上前のことです。
ご主人を亡くした後に奥さんが会社を引き継いで切り盛りしていましたが、それまで奥さんは会社の仕事には関わっていなかったようで、ご主人の代わりに急に会社の切り盛りをしなければならなくなったようです。何から何まで、はじめのことばかりで大変と話されていました。診察にいらした時に、ハラハラと泣きながら、苦労話をされていました。周りに愚痴を聞いてくれる方がいなかったのかもしれません。
最近は診察時の表情も明るく、会社の切り盛りもだいぶ慣れてきたのかなと思い、「会社の切り盛りは慣れてきましたか?」と伺うとキョトンとした表情で、「今鳥肌が出ました。先生、前のこと覚えていらしたんですか?ビックリです。」
ご主人とのお付き合いも長かったですから、いつも奥さんも一緒でしたし、表情の変化はわかりますよ。大変でしょうけど頑張って下さいネ。
「ハイ、ありがとうございます」

患者さんのカルテには診断、治療状況、検査結果、体調の変化はもちろん記載しますが、生活の出来事も期日を入れて記載するようにしています。顔を見れば大体はわかるのですが、何年前などは記憶が曖昧なこともあります。
通常、診察は採血結果を確認し、体重の変化がないか?、必要な検査がないかを確認するので、それこそ5分診療でおしまいです。
でも、今日病院に来てよかったと思って貰って帰れるような元気が出るような言葉がけは意識してするようにしています。

『鳥肌』なんて言われると、琴線に触れてしまってちょっとまずったかな⁉︎と思いましたが、良い意味だったようです。
患者さんとの信頼関係の構築は日々の何気ない会話からなされるのだと思っております。他の病院ではなく、他の医師でもない、次も僕にかかりたいと思って頂けるような、そんな気持ちでこれからも診療を続けてゆきたいと思います。

『311』東日本大震災から12年が経ちました。あの時は大変でした。でもいつまた新たな大変が起きるかもしれません。しっかりと過去を見つめ、忘れずにこれからに備えてゆくようにします。あの時を忘れぬように。
10/03/2023

『311』
東日本大震災から12年が経ちました。
あの時は大変でした。
でもいつまた新たな大変が起きるかもしれません。
しっかりと過去を見つめ、忘れずにこれからに備えてゆくようにします。
あの時を忘れぬように。

いらっしゃいませ!ここは西野徳之とその家族のホームページです。お時間のある方は、わが家でいっぷくして下さい|-Nishinon & the Family-

『救急搬送同乗の帰り』「愛知県江南市の「江南厚生病院」に勤める20代の女性研修医が今月16日、別の病院から救急車で戻る途中、友人との食事会に向かうため、わざわざ救急隊員に近くの駅まで送らせていた。」これは問題ですね。基本的に病院間搬送は片道...
23/12/2022

『救急搬送同乗の帰り』
「愛知県江南市の「江南厚生病院」に勤める20代の女性研修医が今月16日、別の病院から救急車で戻る途中、友人との食事会に向かうため、わざわざ救急隊員に近くの駅まで送らせていた。」
これは問題ですね。
基本的に病院間搬送は片道のみ。
帰りはタクシーなどで帰るのが基本ではないでしょうか?
搬送の後、帰りは乗せて、病院まで送り返してくれることがあるかもしれませんが、私用でタクシー代わりにとは言語道断!
もし、市内の近隣の病院なら、帰りを救急車が送ってくれなくてもタクシーで帰って、後で病院が清算してくれることはあるでしょう。
でも医療圏をまたぐような搬送は大変です。
ほとんどの方は経験したことがないでしょうけど・・・。
僕が利尻島に勤務していた頃(1990)初めてヘリコプターに同乗して札幌医大へ搬送した時のことです。
ギランバレー症候群を疑っていたら、実は脳膿瘍だったという方の搬送をしました。当時は一番近い市立稚内病院(フェリーで90分+α)には脳神経外科がなく、札幌医大へ搬送をお願い致しました。
時には札幌医大から医師が同乗してくれることもあったのですが、その時は同乗医師はなく、こちらから搬送の同乗をすることになりました。
白衣に聴診器を肩にかけて、搬送。
無事、札幌医大に到着、申し送りをして、治療を委ねました。
その後は・・・。
ヘリで戻してくれることはなく、自力で帰ることに。
初めての搬送なので、白衣のまま・・・。
財布を持ってきてよかった!
着替えは持ち合わせはなく、白衣のままタクシーで、札幌駅へ。
旭川まで特急も90分そのまま。
旭川から稚内へは急行で3時間白衣で揺られ。
稚内へ着くと、もう利尻行きのフェリーはなく、白衣でホテルに宿泊。
翌日は朝一便で白衣でフェリーに乗り込み利尻島へ。
利尻島の鴛泊には病院からのお迎えの車が来てくれていて、自宅まで送迎。着替えて病院の仕事。
搬送で戻るまで、ほぼ一日かかるような行程でした。
白衣での移動はちょっと恥ずかしい思いをしました。
私立稚内病院勤務の時もクモ膜下出血などで月一回は旭川への救急搬送同乗というのがありました。
稚内ー旭川間はおおよそ240Km。当時その間に脳外科はなかったのです!
因みにその距離は東京から福島市の手前(本宮)ぐらいの距離です!
救急車で3時間で搬送、帰りは救急車に乗せてもらって、そのまま帰るのですが、サイレン鳴らさないので4時間以上かかりました。
でも、帰りに食事がてらミスタードーナツに横付けしてもらって、病院のお土産、自宅用など買い込んで帰ったのは懐かしい思い出です。
当時は稚内にミスタードーナツがなく、救急隊の方々も一緒にドーナツを買って帰りました。
ミスタードーナツに救急車で横付けして、白衣で買い物はちょっと奇異な目で見られましたが。

「無理です。そこに行くのはきついです」  消防隊員はいったんは断ったというが、女性研修医は再度、「上司の許可」をタテにして、最寄り駅まで送り届けるよう求めたという。  愛知県江南市の「江南厚生病

『改訂版 便秘を可視化することにより顕在化する課題』講演のご案内です。年明けにwebで配信させて頂きます。薬剤師さん限定ですが、福島県外からの視聴も可能です。ご興味のある方は是非ご視聴下さい🎵以前より講演させていただいている内容をさらに増補...
20/12/2022

『改訂版 便秘を可視化することにより顕在化する課題』
講演のご案内です。
年明けにwebで配信させて頂きます。
薬剤師さん限定ですが、福島県外からの視聴も可能です。
ご興味のある方は是非ご視聴下さい🎵
以前より講演させていただいている内容をさらに増補して講演させて頂きます。
90分の長丁場ですが、260枚ほどのスライドで供覧致します。
他では絶対に聞けないお話です。
たぶん、あっという間に講演が終わってしまうような没入感を楽しんで頂けるかと存じます。是非ご視聴下さい🎵
参加申し込みは1/13(金)締め切りです。
よろしくお願い致します。

住所

郡山市
郡山市
963

電話番号

+819040400804

ウェブサイト

https://www.facebook.com/KIZUKINOIRYOU

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