24/09/2025
室町時代、能楽を大成させた世阿弥は、『風姿花伝』」や『花鏡』などの著書を遺しています。その中で芸道はどうあるべきかということについて、
「極め極めては、諸道悉(ことごと)く、寿福増長ならん。道のための嗜(たしな)みには、寿福増長あるべし。」と、その効用を説いています。そのうえで、「寿福のための嗜みには、道まさに廃るべし。道廃らば、寿福おのずから滅すべし。」
と、語っています。
この意味するところは、寿福すなわち幸福はあくまでも芸道の結果としての効用であって、決して幸福を目的として芸道を行ってはならないということです。名声など世俗的な幸福を求めてこれを行えば、芸道のもつ本来の純粋性が失われてしまいます。そこには最初から見返りを期待している我欲があり、そのような不純な動機で行ったのではその本質を汚すことになるばかりか、決してその芸道が発展することはないし、幸福も消滅すると説いているのです。
目的達成の満足は、芸道それ自体のすばらしさを享受することとは全く別です。
あらゆるものが目的達成のための手段と見なされていく現代社会では、目的というものをもっていない行為は価値がないものと見なされ排除されてしまう傾向があります。たとえば、アルコール飲料やタバコなどの嗜好品は健康を損なうおそれがあるという理由で強く排除されてしまいます。
芸能などの活動は、何かのための手段ではなく、純粋にその活動それ自体のためにする活動でなければ、本当に歓びを享受することができません。それは目的の遂行という動機とは全く次元が異なるものです。
ミュージカルなど現代の芸能は明治時代以降欧米のそれを模倣して、わが国に移入されてきたものがほとんどです。しかし、そこに日本伝統の息吹を吹き込まなければ本当に私たちの文化として日本の風土に根づいたことにはならないのではないでしょうか。
海外から日本文化に関心が集まる今、もう一度日本の伝統文化とは何か、問い直してみたいものです。