22/12/2025
精神分析や精神分析的心理療法は、少なくとも週1回の頻度で継続されることが一般的であり、人によっては週2回、週3回、場合によっては週4回という高い頻度で行われることもあります。このような頻度設定は、症状の軽重や課題の性質というよりも、内的な体験をどの程度の密度で扱うかという臨床的判断に基づいて決められることが少なくありません。また、治療期間はたいてい数年に及び、なかには10年以上にわたって続けている人もいます。短期間で明確な変化や成果を求める傾向が強い現代社会においては、こうした長期性そのものが敬遠されやすい要因になっているとも言えるでしょう。
近年は、時間対効果や費用対効果、いわゆるタイパやコスパが強く意識される時代です。さらに、AIが即座に答えや解決策を提示してくれる環境が整いつつあるなかで、精神分析や精神分析的心理療法のように、答えを急がず、内省と関係性を手がかりに時間をかけて考えていく方法は、効率が悪く、時代遅れのものに見えるのかもしれません。実際、外から見れば、同じような話を何度も繰り返し、進んでいるのかどうか分かりにくい過程に映ることもあります。
しかしながら、精神分析や精神分析的心理療法によって得られる体験は、単なる問題解決や症状の軽減にとどまらない、深い意味を持っています。それは、知らないふりをしてきた自分自身の一部や、言葉にならずに内側に留まっていた感情や欲求と、少しずつ向き合っていく体験でもあります。そうした過程を通じて、自分の生き方や人との関わり方が静かに、しかし確実に変化していくことがあり、その変化が人生の転機として感じられることも少なくありません。結果として、人生に豊かさと深みが加わり、これまでとは異なる視点から自分自身や他者を眺められるようになる場合もあります。
誰が言い出したか分かりませんが、心理療法の世界では、さまざまな技法やオリエンテーションの違いはあっても、最終的に到達する地点は同じであり、異なるのは登るルートだけだ、という言い方がなされることがあります。確かに、共通する要素が存在することは否定できませんが、私はその見方には違和感を覚えています。精神分析や精神分析的心理療法には、それらに特有の到達点があり、その方法を通らなければ見えてこない景色があるように思われるからです。それは、理解したという実感だけではなく、関係性のなかで体験として身につく変化であり、他の方法では代替しにくい性質を持っています。
精神分析や精神分析的心理療法には、時間も労力も、そして金銭的な負担も一定程度求められます。そのため、誰にとっても無条件に勧められる方法ではありませんし、それに見合うかどうかを事前に断言することもできません。それでもなお、この方法には、他では得がたい意義ある体験をもたらす可能性があるように思われます。効率や即効性とは異なる価値を重視する人にとって、精神分析や精神分析的心理療法は、今なお検討に値する選択肢であり続けていると私は考えます。