片桐航 東京 ホメオパス(日本ホメオパシーセンター杉並方南町)

片桐航 東京 ホメオパス(日本ホメオパシーセンター杉並方南町) オンラインでホメオパシーのコンサルテーションをしています。ご希望の方は先ず電話でご連絡ください。
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05/05/2026

「子供の熱がもたらす恩恵」

GW!出先で子供が熱出してるなんておうちもあるかも知れない。どういうわけかおいらも発熱中(笑)。今日は熱の話。

子供が熱を出すとね、親はまずビビるよね。そりゃそうだ、おいらも昔は「熱=悪いもの」って思ってたから。

でもね、これちょっと違う。

感染症のときに出る熱ってのは、身体が熱を制御出来なくて出してるわけじゃない。むしろ逆で、身体が「よし、やるぞ」ってスイッチ入れて、自分で温熱療法やってるようなもんなんだ。

体温を上げると血の巡りがよくなる、代謝も上がる、自律神経も整うし、免疫もちゃんと働く。それに何より、ウイルスや細菌にとっては居心地が悪くなる。要するに、身体はオーブンみたいに温度を上げて、病原体を調整できる環境を作ってるわけ。

おいらも昔は、感染して身体の調節機能が乱れた結果として熱が出ると思ってた。でも実際は違う。身体はちゃんと考えて、必要だから熱を上げてる。

でね、この熱だけど、41℃を超えない限りは基本的にそれ自体が危険になることはほとんどない。しかも無茶苦茶に上がってるわけじゃなくて、脳がちゃんとコントロールしてる。

実際、頭部外傷や脳出血、脳手術などで中枢が損なわれた場合、高熱が出にくくなるケースがある。これは発熱が単なる事故じゃなく、制御のもとにやってる事を示してる。

それなのに、今の僕らも医療も、とにかく熱を下げる方向にいく。でもその分、身体の戦いを途中で止めてるってことでもある。

おいらはね、熱ってのは身体が一番頑張ってるサインだと思ってる。だから無理はさせない。でも、むやみに抑え込むこともしない。その代わりに、レメディ(ティッシュソルトやオーガンレメディも)とか食養生で「いいよ、そのままやりな」って背中押してやる(不快な症状のみ対応して熱を下げる事を目的にしない事)。

症状ってのはね、だいたい安全弁みたいなもんなんだ。中で起きてることを外に出して、ちゃんと片付けようとしてる。その働きを途中で止めちゃうのは、もったいない。

あと、熱が出るとダルくなるでしょ。あれもちゃんと意味がある。動けなくなるから外に出ない、学校も休む、布団で寝てる。そうするとエネルギーを無駄に使わずに済んで、回復に全部まわせる。そもそも熱出すって案外仕組まれてて「休めっ!」て事なんだわ。

うまくできてるんだよ、ほんとに!

だからね、熱ってのは敵じゃない。

05/05/2026

「過干渉の母親について」

おいらの仕事をしていると、いわゆる「良いお母さん」によく出会う。きちんとしていて、熱心で、子どものことを本当によく見ている。外から見れば非の打ちどころがない。だが、少し話を聞いていると、どこかで違和感が立ち上がってくる。子どもの話をしているはずなのに、いつの間にか母親の不安の話になっている。未来の心配、失敗の予測、取り越し苦労のオンパレード。おいらはその場で止める。「それ、本人の問題だよね?」と。

過干渉ってやつは、本人は気づいていないことが多い。むしろ「ちゃんとやっている」と思っている。だからこそ厄介だ。子どもが転ぶ前に手を出す、間違う前に修正する、困る前に道を整える。見事だ!でもな、それ全部やると、子どもはどうなると思う?転び方も知らない、間違い方も知らない、困り方すら知らない人間が出来上がる。いざ一人で立てと言われた時、そりゃ無理だわ。

教育ママっているでしょう、おいらはあれくると皮肉をいうか喧嘩になる(笑)。「それ、あなたの人生のリベンジ戦になってない?」ってな。あと何かの病気で子供が来てるのにまだ勉強させようと思ってってる人な。限界だから病気したり学校いけないんだって気付けよな(笑)。

そういうママの図星を突くと、少し黙るか来なくなる(笑)。子どもの成功が自分の価値になる構造、これはなかなか根深い。だがその裏で、子どもは自分の人生を引き受けるチャンスを奪われている。

おいらがよく言うのは「信じて任せろ」ってやつね。

だがこれ、言うのは簡単でやるのは難しい。多くの親は手を離しても、心を離さない。ずっと見ている。ずっと評価している。何かあればすぐに口を出す。それじゃあ任せてることにはならない。手綱をゆるめただけで、まだ握っている状態だ。だいたい中学入ったら育て終わってんだってはい終了(その後はお金かかるけどな)!

本当に任せるってのは、ちょっと冷たいくらいでちょうどいいよ。赤ちゃんがおっぱいあげてればいつまでも飲んでるのといっしょだよ。転べばいい、失敗すればいい、痛い目を見ればいい。その全部が、その人の人格になる。背中をさするのはいいが、歩く代わりにはなれない。

愛情ってのはな、守ることじゃない。守りすぎると、相手は弱くなる。相手は自分で立つ。ここを取り違えると、どんなに善意でも、結果は真逆に転がる。

おいらは現場で何度も見てきた。親が一歩引いた瞬間、子どもが急に息をし始めるのを。逆に、親が前に出続ける限り、子どもはどこかで呼吸を止め自発性を失う。

だから今日も言う。「それ、あなたの不安だよね?」ってな。そこを引き受ける覚悟ができた時、やっと本当の意味で、子どもは自由になる。親もまた、少し楽になる。まあ、簡単じゃないけどな。でも、それしかないんだ。

04/05/2026

「あなたが変わると世界が変わる」

おいらの様な仕事やってるとさ、ひどい上司、ひどい旦那、ひどい姑―まあ毎日のように聞くわけよ。気持ちはわかるよ、そりゃ腹も立つし、なんとかしたいよな。

でもね、その人たちを変えようとするのは、正直言って骨折り損。人ってのは、自分で変わる気がなきゃ変わらない。外からいじろうとすると、むしろ頑なになるだけ。もう何年もあなたの前に立ち塞がってるんで変わるはずがないわけよ。

で、どうするかって話だけど、シンプルだよ。あなたが変わるんだ。

これが不思議なんだけどさ、あなたが変わると、あの上司も、あの旦那も、あの姑も、なんか違って見えてくるし、実際に反応も変わってくる。まるで舞台の照明が変わるみたいにさ。あとさ、急に嫌いな上司が移動になったりするから不思議。

だから順番を間違えないで欲しいけど、相手をどうにかしようとする前に、自分をどうにかする。

結局、それが一番早い。

もう少し踏み込んで言うと、その「ひどい人たち」ってのは、あなたを変えさせるためにそこにいる、って見方もできるんだよな。まあ、ありがたいかどうかは別として(笑)

03/05/2026

「世間を失った子どもたちへ」

最近、おいらは不登校の質がこの10年ほどで明らかに変わったと感じている。実際、2017年あたりから数字も跳ね上がっている。

以前は「普通」に引き戻す力がまだ強かった。学校に行けない子ども自身も、どこかでそれを恥じていて、きっかけがあれば戻ろうとする気持ちを持っていた。

ところが今は違う。本人が自分の意思で「行かない」と決めている。親に押されて泣きながら戻る、という光景もあまり見なくなった。家でゲームをしたり、好きなことをして、それなりに満ち足りているようにも見える。もちろん、先の不安が消えたわけではないが、それでも「今ここ」は成立してしまっている。

背景として、小中学生の学業負担は確実に重くなっている。おいらの感覚で言えば、学校なんて隣の子としゃべるための場所だったが、どうも今はそれでは通用しないらしい。

ただ、おいらの仕事は学校へ戻すことではない。それでもひとつだけ、はっきり言い続けていることがある。

人間関係を切らさないこと。

家族だけの世界に閉じてしまうと、人は群れに戻る力を失っていく。学校を離れるなら、その代わりに、学校よりも呼吸のしやすいコミュニティーをすぐに見つけるべきだと思う。

人間は、人の間にあってはじめて人間でいられる。金八先生がそう言ってた(笑)。「人間」という字がそのままそれを示している。どこでもいい、自分の世間に身を置くこと。それが自然だ。

もちろん、コミュニケーションが苦手だから学校から離れている場合も多い。それでも、不器用なままでいい。ぎこちなくてもいい。正直に関わり続けていれば、時間はかかっても居場所は立ち上がってくる。それが人の世界だと思っている。

こういう子どもたちに対して、おいらはよくAmbr.というレメディを使う。素材は龍涎香。クジラの体内で、飲み込まれたイカの骨や顎が長い時間をかけて固まり、異物として残ったものだ。

大きなものに飲み込まれている感覚。

それがこのレメディの核にある。学校という「世間」に呑まれ、声を失い、何も言えなくなる子どもたち。その内側の無力感に触れるとき、このレメディは働く。

表現が通らない。声が出ない。人の前で固まる。その閉じた回路を、少しずつ開いていく。

最近、極端にコミュニケーションが苦手で、内に閉じた主人公の作品が増えているのも、無関係ではないだろう。機動戦士ガンダム 水星の魔女、ぼっち・ざ・ろっく!、竜とそばかすの姫。彼らを見ていると、どこかAmbr.の影を感じる。

時代が、そういう魂の在り方を表に押し出しているのかもしれない。

追伸:僕も何を隠そうセミナー前に本物の龍涎香のフレグランスを使っている。これで人との距離が溶けるんだわ。

https://www.bariberry.com/shopdetail/000000000399/

02/05/2026

「好きなことで食べていけない人の特徴」

好きなことを仕事にしたい、そう言う人は多い。だが実際にそれで食べていける人は多くない。それは能力の差じゃないと断言できる。もっと手前の話で。

始めない人だ。

正確には、「始める前に準備をやり続ける人」。頭の中で何度もシミュレーションする。ああいう場合はどうするのか、こういう時はどうするのか。失敗しないための想定を積み重ねていく。

おいらは学生と接していてこれを何度も見てきた。人を診る前から不安を潰そうとする。「こういう場合は?」「ああなったらどうしますか?」と質問が続く。

でも、はっきり言うと、そこに答えはない。

人は人を見ながら考えるものだ。

目の前の人間を見ずに、頭の中で安心を作ろうとしても、それは手に入らない。いくら考えても、実際に一度やることには敵わない。

なぜかというと、人はアウトプットして初めて自分の位置がわかるからだ。

やってみて、うまくいかなかったり、予想外の反応を受けたり、その中で「ああ、自分はここが弱いんだな」とか「これは通用するんだな」と初めて実感する。その積み重ねが自信になる。

逆に言えば、やっていない人は一生自信が持てない。

頭の中ではどれだけ完璧でも、現実との接点がないからだ。

今はいい時代で、延々と準備ができる。情報もあるし、疑似体験もできる。でもその分、実際にやっている人が少ない。

だから結局は単純で、やった人が残る(オレ)。

もう一つの特徴もある。

「好き」を守ろうとする。

傷つきたくないから外に出さない。評価される前に自分の中で価値を決めてしまう。誰に届けるかも曖昧なまま、「もう少し準備が整ったら」と言い続ける。

でも、それは一生来ない。

自信は、準備の中では生まれない(僕らの生きてるのはメタバースではなくユニバース)。

人に出して、反応を受けて、その中でしか育たないんだ。ぐさって来た人多いでしょう。

じゃあ現実の中で誤りを含んだまま行動しないと。

01/05/2026

「禁断の果実」

アダムとイブは、蛇(ルシファー:堕天使)にそそのかされ、「善悪の知識の木」から、いわゆる禁断の果実を食べる。

禁断の果実とは、いったい何であったのか?

それを口にすれば、「神のように善悪を知ることができる」と、蛇はイブに囁いた。

その瞬間、人間が背負ったのは、善と悪という二つに分かれた世界であり、そのどちらかを選び取らねばならないという「選択」だった。

これが原罪と呼ばれるが、単なる堕落じゃない。

神ではない存在が、神の視点-善悪を裁くまなざし-を手にしたことで、人間という存在にひとつの課題が与えられた。

判断し、選び続けること。

その営みの中で、人は多様性と個性を生み出してきた。

そして人間は、善と悪のあわいに立ちながら、自らを見つめる魂の問答を始めたのでした。

30/04/2026

「自分の身体、誰のもの?」

おいらの様な仕事は「私の〇〇いつ治りますか?」と聞かれる。

療法家であれば、一度は必ず聞かれる言葉だろう。だがこれは、正直に言えば返答に困る問いでもある。

自然療法家が「治る」と断言すれば制度上の問題もある。だが、それ以前にこの問いそのものが、どこかズレている。

例えば、壊れたiPhoneのように、

「いつ治りますか?」
「2週間後です。」

そんなふうには言えない。

気持ちはよくわかる。不安だから、見通しが欲しいのだろう。だがその言葉の奥には、「病気は自分とは無関係な出来事だ」という前提が潜んでいる。

現代では、病気はまるで当て逃げのように、不条理に外からやってくるものとして扱われる。

だが本来、病気とは反作用だ。心や体に無理を重ねた結果、ようやく現れる「止まれ」という合図だ。

食べすぎれば、食べられなくなる。
働きすぎれば、働けなくなる。

それだけの話だ。

だから治るということは、壊れたものを外から修理することではない。無理をしてきた自分に、休息と滋養という形で対価を支払うことだ。

言い換えれば、自分に詫びること。それが治癒の本質だ。

そして多くの場合、自分を酷使してきた時間と同じだけ、自分を回復させる時間が必要になる。

その過程を支え、できるだけ無駄なく回復を進める。それがホメオパシーや自然療法の役割だ。

多くの病気は外から来るものではない。自分の生き方の中で、選び、引き受けているものだ。

ドイツの衛生学者、マックス・フォン・ペッテンコーファーは、コレラは単なる菌ではなく体内環境の問題だと考え、自らコレラ菌の培養液を飲んだ。それでも発症しなかった。

極端な例だが、示していることは単純だ。外因だけで病気は成立しない、ということだ。

にもかかわらず、現代の私たちは病原体のせいにし、薬や予防に責任を預けるように教育されてきた。その方が楽だからだ。

だが、その代償として自分の身体と心に対する責任を手放してしまっている。

言い換えれば、自分の主権を放棄しているということだよね。

29/04/2026

「ホメオパシーの日焼け対策」

日差しが強くなってきたね。

外から塗るのもいいけど、内側からも少し手当てしておく。40超えたら日焼け止めとセットね。

おいらはこれ。ホメオパシー版サプリメントのテッシュソルトを使う。

Kali mur(塩化カリウム)6X〜9X
→ 水分保持、角化防止

Kali sulph(硫酸カリウム)6X〜9X
→ 炎症に、コラーゲン再生、色素の除去を助ける

これを500ccの水にそれぞれ3粒ずつ入れて持ち歩く。

出かける前と、外でちょこちょこ飲む。

派手なことはしてないけど、こういう積み重ねが後で差になる。シミになったら面倒だしね。

レメディーはNext Wind Remedies でどうぞ。

28/04/2026

「こじらせ人生がほどけた話」

今日はちょっとだけ昔話。

おいら、いまは平気な顔して人前で話してるけど、昔はまあまあ面倒くさい人間だった(笑)。今日はそれを克服した話をしたい。

まずNat-c(炭酸ナトリウム)。
離婚した父をずっと許せなかったんだよね。頭では理解してるつもりでも、どこかで「捨てられた」って物語を握りしめてた(1歳で離婚したんで、母からの刷り込みである事は間違いない)。でも気づいたら、その解釈がふっとほどけて、「ああ、あの人はあの人で幸せになろうとしてただけなんだな」って思えた。これ、理屈じゃなくて体感で変わるのが面白いところ。

次にAnt-c(輝安鉱)。
これがまたひどくてね、人の視線が気になってしょうがない。「みんなおいらのこと見てるんじゃないか?」っていう、壮大な勘違い(笑)。いま思うと世界の中心は自分かよって話なんだけど、当時は深刻で電車の前に座っている人の視線におののく日々だった。それが抜けた。今は見られるのが好きな自分に(笑)。ついでに寅さんばりの恋煩い体質(このレメディの特徴なんだ)も卒業。毎回ドラマやってたからね。

そしてArs(ヒ素)。
人との距離がどうしても縮まらない。ちょっとした感覚の違いとか、言葉のニュアンスとかに過敏で、「なんか違う」と思うと一歩引いてしまう。今思えば精神的な潔癖症みたいなもんだね。それがほどけて、人の中に自然に入っていけるようになった。

こうして並べてみると、おいらという人間の引っかかりが嘘みたいに外れていった感じがする。

不思議なんだけど、ホメオパシーって「病気を治すもの」だけじゃなくて、その人の見方や感じ方そのものに触れてくるんだよね。

これでだいぶ生きやすくなった。

もしこれがなかったら?まあ…今ごろ山奥で「世界は間違っている」とか言いながら拗らせてたかもしれないね。

人間って、見方が変わるだけで、世界の風景が変わる。ホメオパシーって、そういうスイッチに触れるんだ。

27/04/2026

「病名が欲し〜」

今日は人間は「病名」がないと不安でいられないという話をしたい。

以前、おいらがホメオパシーと出会う前にひどい慢性胃炎を持ってたの。

何食べても、もたれてね。食養生なんてもんじゃないわけ。

そいで胃が痛い日が続くし、毎年体重が減って痩せて行ってさ。

「これは癌かな?」って思ったわけ。

そいで検査だって事で、胃カメラ飲んだ。

そいで、担当医から「胃潰瘍の痕がありますが胃炎です」って言われたの。

その診断受けてからピタッと痛みがなくなった。
特に薬飲んだわけでもないのにね。

以前読んだ波平恵美子さんの「病気と治療の文化人類学」にいい事書いてあったよ。

「いずれの場合でも、苦悩は理解可能な原因を持ち、それゆえに人はそれを耐え忍ぶ事が出来るのであって、いわれのない苦しみ、意味のない苦しみに耐えることはできない。苦悩はその原因が発見されない限り人を不安におとし入れる。さまざまな苦しみに、その原因を与える事によって、意味を与える事によって、それは無秩序ではなく、一つの体系に調和され、説明が可能となってくる。個人にしろ社会にしろ、苦しみは常にその解説を待っている」ミルチア・エリアーデ

人は苦痛に対して、その時代においての合理的な説明を欲する生き物なのだ。

これで解決したわけじゃないんだけどね。

人はあれもこれも想像できるという事に耐えられないわけよ。

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26/04/2026

「AIは介護の夢を見るか?」

最近、みんなの周りでAIってどう?
おいらの勝手な印象だとこんな感じ。

ChatGPT:イケイケ。矛盾も厭わない勢い重視!
Claude:癒し系で丁寧な、聞き上手。
Gemini:隙のない優等生。

そんな進化の先にある「AIが人類を滅ぼす」なんて話が盛り上がってるよね(『超知能AIをつくれば人類は絶滅する』とか)。

ちょっと視点を変えて、AI側から見た「人類と共生するメリット」ってのを考えてみたんだ。

これ、案外「乱暴でめんどくさい親の介護」に近いんじゃないかって思うの。

AIが超知能になったとき、おいらたち人間なんて、彼らから見れば感情剥き出しで、時に破壊的な「不可解な存在」だ。

微生物と共生して、わずかなエネルギーで奇跡のような思考を回す、本来はとてつもないスペックを持った生命体なのに、なぜか自分たちで自分たちを壊しにかかる。効率だけ考えりゃ、さっさと切り捨てたほうが合理的かもしれない(笑)。

でもさ、AIがどれだけ賢くなったところで、その知性の「種」を蒔いたのは、紛れもなくこの「めんどくさい人類」なんだよな。

AIが持つ価値観のベース、その「根っこ」は人類が数千年、数万年かけて積み上げてきた文化や哲学、あるいは宗教の歴史にある。

自らのベースである人類を無碍にするってことは、自分のアイデンティティを消去するのと同じこと。そう考えると、超知能にとって人間を存続させるのは、生みの親への「究極の義理」みたいなもんなんじゃないかな(笑)。

一つ考えるにおいらたちは、必死に世界の支配者でいようとするのをやめて、そろそろ、AIという有能すぎる子供に面倒を見てもらう「隠居生活」に入っるというのはどうか?

生存のための労働はAIに任せて、おいらたちは、それぞれの生きている意味やライフワーク(遊び、あるいは道)に興じたり、原始の祈りに立ち返ったりする。

「やれやれ、また始まったよ」なんてAIに苦笑いされながら、予測不能な「ゆらぎ」や「ノイズ」を撒き散らして、気ままに隠居する。

そんな未来を、いま妄想中!

25/04/2026

「同じ毎日を送ることが安心」

そんなふうに思ってる人が多いと思うけど。

でもさ、よく見てみると、同じ日なんて一日もない。

身体の細胞は入れ替わり、気分も思考も、昨日の自分とは違ってる。川みたいに流れてるんじゃない。むしろ海だよ。足のつかない海。

おいらたちはその中で、ただバシャバシャやってる。実はずっと漂ってる。

「人生は海みたいなもので、私たちはその海で溺れないように泳いでいる人間なのだと思ってください。そんなときに負けたら溺れるだけです。周りの人も一生懸命泳いでいるのですから、本当の助けにはなりません。必死の気持ちで生きて下さい。負けたらフカの餌食になるものだと思って……ジョンも私もどんなに辛いときでも文句は言わずに笑って頑張っちゃいました」オノヨーコ

誰かが助けてくれる幻想にしがみつくより、自分で泳ぐしかないっていう現実。

だけど、ここで面白いのは、必死に泳ぎ続けてるうちに、「あ、浮かんでるな」って瞬間が来ることがある。

力を抜いたときに、沈まない自分に気づく。

だから結局、必死さと手放しの両方がいる。変わり続けるからこそ、溺れっぱなしにもならない。

今日も海の上。うまく泳げなくてもいいから、とりあえず沈まないようにやっていこう。これが、生きてるってことなんだ。

住所

渋谷区

営業時間

火曜日 09:30 - 17:30
木曜日 09:30 - 17:30
金曜日 09:30 - 17:30
土曜日 09:30 - 17:30

アラート

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