なぜ治療家になったのか
昔から、なぜか「子ども」や「女性」の困った姿が放っておけない性分でした。
また、病などで肉体に苦痛を抱えている方に対しても、何か自分に出来る事はないのだろうかと悩み考える人間でした。偉ぶるわけではないのですが
「他人の痛みに敏感」
な少年だったのです。なので、必然的にこういう方面の職業に進む事が、なかば運命づけられていたのかもしれません。
しかし、そんな私も決して順調にここまで来たわけではなく、いろいろと回り道をしながら紆余曲折を経て、何とか今こうしてこの場所に立つことが出来ています。
「良いこと」も「悪いこと」も、かなりいろいろな分野で経験をしてきましたし、トラブルや難題などの試練も嫌というほど直面してきました。
今でこそ、全ての過去は今の自分になる為に必要な要素だったと肯定できますが、まあお世辞にも格好の良い人生だったとは言えません。
しかし、そんな私でもいつも心の片隅で忘れられなかった事が、少年の頃から感じていたあの気持ちでした。
「子どもや女性を守れる人間でありたい」 「病める人の力になれる人間になりたい」
この叫びが常に私の心の奥で渦巻いていました。
「他人の痛みに共感できるという1点において、私は他の誰にも負けない」
という自負があったのです。そして、様々な回り道をして経験を積んだ自分だからこそ、悩み苦しむ人たちの力にもなれるのではないか。
そのように人生のメンターたちに励まされながら、ようやく今、自分の働きに少しずつ誇りを持てるようになったのです。
私の信念
私には3つの信念があります。
①治療家として患者の苦痛を癒し、柔道整復師の社会的存在意義を高めること。
②父として子どもを慈しみ、その生活や将来を全力で守ること。
③男として社会経済活動に貢献し、すべての子どもや女性が安心できる社会を作ること。
何事も10年やれば一定のレベルに到達すると言われています。
私は治療家として15年、父として16年、男として38年をむかえました。まだまだ発展途上ではありますが、少しは他人様に語れる事も増えたつもりです。
この場所を通じて一人でも多くの方とつながり、そのお一人お一人の方に何らかの寄与貢献が出来るならば、それに勝る喜びはありません。
踏んだ場数は数知れず。実践してきた者にしか語れない境地がここにあります。どうぞ末永くご愛顧いただきますよう、よろしくお願い申し上げます。
あなたと長く温かいお付き合いが出来ます事を願って。
むらかみ整骨院長 村上寛幸