
28/08/2025
今年は戦後80年、被爆者や戦争体験者が平均年齢96歳を越え、核兵器廃止への望みをかける最期の年とも言われています。
2025年8月7日~9日にかけ、長崎へ「原水爆禁止世界大会」へ行ってきました。九州熊本で育ちましたが、長崎への祈りの旅は、人生で2回目。子どもの時に見た景色とはずいぶん変わっていました。8月7日は、長崎市民会館で、被爆者の体験談を聞かせていただきました。子どものときに、背中に大やけどをおって、うつぶせのまま何年も寝たきりになった話、大好きな家族を失い、自分の手で荼毘にふせた話。ガラス片が顔や体に突き刺さり、血だらけで防空壕に逃げた話。もちろん、話をしてくださる方はみんな90代。車いすから立ち上がり、マイクをもってお話されます。8月8日は、水爆実験で何も知らされず被爆したマーシャル諸島の島民の話。枯葉剤被害の話。広島の兵器工場で働いていた韓国人一家が被爆して障害を持った話。原爆ブラブラ病や、白血病はその世代だけでなく、何世代も続く、内臓疾患、がんや、奇形など放射線はありとあらゆる健康障害を引きおこすことをお話いただきました。今年、戦後80年。2024年に被団協(日本原水爆被害者団体協議会)はノーベル平和賞を受賞しました。これは、核兵器廃絶にむけた被爆者の長年の活動が評価されたからです。世界へ「ヒバクシャ」という言葉を浸透させ、核の悲惨さを訴え、核廃絶への一歩一歩踏み出したことを心から、尊敬し、私たち次世代がしっかり引き継いでいかなくてはならない。心に誓った、「祈りの旅」でした。