マインドフルネス実践会

マインドフルネス実践会 日 時:毎週月曜:20時〜21時30分
場 所:Zoomミーティング
参加費:無料

※年末年始、夏期休暇時、GW等の期間には変更する場合があります。

 マインドフルネス瞑想を体験し学び合う場。
2012年、ジョン・カバットジン博士の日本招聘の準備としてMBSRの勉強会からスタートしました。
日本人に親しみやすいマインドフルネスをご提案、毎週月曜日の20時から定例にて瞑想会を行っています。
お気軽に来てください。
お問い合わせは、メールもしくはWebページからお願いします。

■なるとある このタイトルは何? ナルトがあるのか? とか思っちゃうかもしれませんね。“なる”ことと、“ある”ことについて書きたいと思います。   これは瞑想の極意の一つではないかと思っています。瞑想をしようとするとき、しているときに、何か...
13/04/2025

■なるとある

 このタイトルは何? ナルトがあるのか? とか思っちゃうかもしれませんね。“なる”ことと、“ある”ことについて書きたいと思います。
  
 これは瞑想の極意の一つではないかと思っています。瞑想をしようとするとき、しているときに、何かしらのゴールを設定している人が多いように感じています。どうでしょうか?
   
 瞑想をやったことがある人なら多分お分かりいただけると思います。僕はちょっと不思議なんですね。瞑想の完成系みたいなものを多くの人が心の中に持っているように思うのです。
 もしかすると、このことが日本で瞑想がなかなか浸透しなかったり、マインドフルネスがよく誤解される原因なのかもしれないと思うのです。
 
 よく出てくる感想には、「雑念」がたくさん出てきました。そして「無」になれませんでしたというのがありますね。
 もちろん「雑念が出てくるとダメですよ」といった教示などしていませんし、「さぁ、皆さん無になりましょう」といった指示を出すわけありませんよね。
 おそらくはなんの迷いもなく、心は安定していて集中している、澄んだア青空みたいな状態になることを目指して座っているのではないのかな? そんな想像をしちゃうのです。
 でも、そんなことを瞑想中に目指すのは瞑想ではありません。

 マインドフルネスだと「評価・判断」をすることなく、この一瞬一瞬に気づいているという状態であるようにお伝えはします。
 その手段として、最初は「呼吸に気づいている」という状態の維持を行います。これはそう「ある」ということです。います、ここでの呼吸にただ気づいているという状態にあることです。
  
 ここで大切なのは、マインドフルネスを通じて、「何ものかになろうとしてはいないか」ということです。どうでしょうか。
 ただ、あるがままに観察している状態にあることを目指すのはOKです。しかし、それは自分が何者かになることではなくて、そういう状態にあるというだけなんですね。

 この状態はとても気持ちのよいものです。何の責任も義務もないんです。
 日常では、僕たちは大概いつだって何者かになろうとしているのです。
 例えば、お金持ちになりたい、誰かの妻や夫になりたい、政治家になりたい、課長になりたい、社長になりたい、料理が上手になりたい、英語が喋れるようになりたい〜。
 いつも「なりたい」という目標を追い続け、場合によっては追いたてられたりもしています。

 もっと頑張らないといけない、努力が足りないなど、いくつもの義務や責務のようなものを背負っています。
 「○○であらねばならない」という自分に縛られています。いつの間にか自分で自分の心を縛っているのです。

 そんなことやってないという人はほとんどいないでしょう。ちょっと考えてみてください。いつだって私たちは「なりたい病」になっています。
 誰もあなたのことを責めてなんかいないのに、あなたがあなた自身をいちばん責めたり、追い詰めたりしています。そんなことってありませんか。

 マインドフルネス瞑想では、何者かになろうとはしません。ただあるがままを観察する状態であろうとはします。あなたはあなたのまんまでよいのです。何のデューティ(責務、職務、負うべきもの)もありません。フリーです。
 ただ、あなたの周りで起きていること、自身に起きていることに気づいているという、それだけのことをしています。それが瞑想です。
 何者かになろうとはしません。あるがままにあることなんですね。

★JMPO基礎 マインドフルネス基礎セミナー★今月は4/8(火)です。マインドフルネス基礎セミナーでは瞑想の実践方法を ①[Body 体]②[Heart心]③[Mind 知]この3回に分けて、しっかりお伝えしています。  マインドフルネスの...
31/03/2025

★JMPO基礎 マインドフルネス基礎セミナー★
今月は4/8(火)です。

マインドフルネス基礎セミナーでは瞑想の実践方法を
 ①[Body 体]②[Heart心]③[Mind 知]
この3回に分けて、しっかりお伝えしています。
  
マインドフルネスの瞑想では、いったん分かったように思っても、続けていくうちにまた新たな発見があります。それがまた大きな魅力です。
定期的に本基礎セミナーにご参加いただき、ぜひ瞑想を深めください。

今月の基礎セミナーは4/8(火)です
 気づきの知恵を活かす[Mind 知]
について行います。

[Mind 知]の回では、日常生活で私たちの意識はどこに向かい、何に気づいているのか、自動思考にどのように気づくのか、気づくことに気づく意味などを扱います。
ちょっと難しいテーマとなりますが、お気軽にいらしてください。

———————————————
日 時:4月8日 (火) 20:00ー22:00
テーマ:気づきの知恵を活かす[Mind 知]
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★詳細・お申し込みは下記からお願いします
https://www.jmpo.org/kiso-seminor

<今後のスケジュール>
4月 8日(火) :③気づきの知恵を活かす[Mind 知]

5月13日(火) :①身体感覚とつながる [Body 体]
6月10日(火) :②呼吸と感情に気づく [Heat 心]
7月 8日(火) :③気づきの知恵を活かす[Mind 知]

小西喜朗 拝

一般社団法人 日本マインドフルネス普及機構 JMPOの公式ホームページです。マインドフルネスに関するイベント・セミナーや実践講座の開催、資格認定講座による講師養成、研修・講演・コンサルティングの依頼を承ってい...

応援中: マインドフルネス・トピックス ―トップファンに認定されました!🎉
21/03/2025

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JMPO マインドフルネス活用セミナー交流分析とマインドフルネス〜「心の鎧」に気づき、自分らしく生きる 〜------------------------------ 交流分析というのはカナダ出身の精神科医であるエリック・バーンが始めたもの...
20/03/2025

JMPO マインドフルネス活用セミナー
交流分析とマインドフルネス
〜「心の鎧」に気づき、自分らしく生きる 〜

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 交流分析というのはカナダ出身の精神科医であるエリック・バーンが始めたものです。精神分析の現代版、あるいは口語版と言われ、バーンによると7歳の頃までに人は自分で「人生脚本」を書き上げると言います。
      
 こうした自我構造を明らかにするのが、交流分析の「エゴグラム」です。エゴ(自我)の構造をグラフで示すものと言えば、とても難しいように思いますが、日本では小学校の教育でも用いられるなど、親しみやすいものです。
   
 つまり自己を知るための精神分析をもとにしたツールが交流分析ですが、マインドフルネスもまた自己を知るための方法です。
 自分の考え方や行動パターンはどこから生まれてきたのか。気になって変えたくても変えられないのはどうしてなのか? そんな心の仕組みと対処の方法を東西の知恵から取り組んでみます。ぜひいらしてください。

★セミナーの詳細・お申し込みは下記からお願いします。

一般社団法人 日本マインドフルネス普及機構 JMPOの公式ホームページです。マインドフルネスに関するイベント・セミナーや実践講座の開催、資格認定講座による講師養成、研修・講演・コンサルティングの依頼を承ってい...

呼吸とは・・・・◎息をしている=生きていること  生きることにいちば深く関係するのはなんといっても呼吸だなと思うのです。 生きているのかどうかを問う言葉に、「息をしている?」とか、していないといいますね。 食べられない=生きていけないという...
06/03/2025

呼吸とは・・・・
◎息をしている=生きていること 
 生きることにいちば深く関係するのはなんといっても呼吸だなと思うのです。
 生きているのかどうかを問う言葉に、「息をしている?」とか、していないといいますね。
 食べられない=生きていけないという言い方もあって、もちろん「食べること」は生きていくことなのだけど、これは多少の時間の長さを感じます。
 息をしている=今,ここに生きていること。食べていく方は、生きていくということでしょう。未来を含んでいますね。何を糧として、つまり仕事として生きていくのか。いかに食べていくのかということになりますね。
 食べると生きるはもちろんつながっているけれど、こちらは生きる糧だとか、仕事、将来の自分と深く関係しているようです。食べたものが栄養として自分の血肉になるには時間も必要です。
 食事は1週間くらい抜いても死なないし、水を飲んでいれば、一か月程度は何とか命は持つでしょう。
 ところが呼吸はまさに「今ここ」のものですね。息をとめちゃうと、ほんの5分くらいしか持ちません。10分も止まると脳細胞はほとんど回復できなくなって死に至ります。
 今、ここで「生きていること」は、まさに「息をしていること」なのですね。
 呼吸とは何をしているのか? 呼吸について語るとき、なぜ呼吸が必要なのかといった生理学的なことがあります。
 この地球に酸素が生まれてきたということ、生命が進化してきたこと、そこに酸素と二酸化炭素の循環があります。これは水と光、空気の循環です。そんな地球環境とも密接に結びついています。
 この地球に生きているということ、それが呼吸をしていること、生きているということです。
 そして、瞑想といえば、呼吸瞑想からスタートします。気づきのど真ん中にあるのが呼吸です。
 この呼吸に気づくということが自分に気づくということ、自身の心と体に気づくことであるし、自分そのものを知ること、自分の命に気づくことになります。

■Well-beingって何? 最近、Well-beingという言葉がよく目にします。これはどういう意味なのか、直訳すると「良い状態」(Well:良い + being:状態)ということですけれど、いろんな人がいろいろな立場から述べており、混...
27/02/2025

■Well-beingって何?

 最近、Well-beingという言葉がよく目にします。これはどういう意味なのか、直訳すると「良い状態」(Well:良い + being:状態)ということですけれど、いろんな人がいろいろな立場から述べており、混乱しています。
 それは「幸福」を意味するとか、単なる幸福ではなく「総合的な幸福」とか、「持続的な幸福」を意味するという人も少なくありません。「健康」や「福祉」の意味にも使われます。
 さて、この注目のキーワードは何を意味しているのでしょうか?

※以下は、noteの記事からご覧ください。よろしくお願いします。

 最近、Well-beingという言葉がよく目にします。これはどういう意味なのか、直訳すると「良い状態」(Well:良い + being:状態)ということですけれど、いろんな人がいろいろな立場から述べており、混乱しています。  .....

■呼吸瞑想にすべてがある◎呼吸瞑想のコツとは? マインドフルネスの呼吸瞑想は、呼吸法ではない。このことを僕は何度も何度も繰り返し伝えています。分かったからといってもすぐにはできないし、できなくても一向にかまいません。 聞いたときには分かった...
26/02/2025

■呼吸瞑想にすべてがある

◎呼吸瞑想のコツとは?

 マインドフルネスの呼吸瞑想は、呼吸法ではない。このことを僕は何度も何度も繰り返し伝えています。分かったからといってもすぐにはできないし、できなくても一向にかまいません。
 聞いたときには分かったように思っても、やはり呼吸法になっちゃうという人もよくあります。

 呼吸を意識した途端、僕たちはどうしてもコントロールしようとするのです。手を出さないでいないと思っても、勝手に出ちゃうのです。
 自然呼吸をただ観察すればいいのだけどね。これがなかなか難しいのだ。

 ありのままを観察するのがマインドフルネスですから、ありのままの呼吸を観察するわけですね。これが基本です。
 ありのままの呼吸というのは、コントロールしない呼吸であり、それは呼吸法ではありません。呼吸を数えたりもしません。

 呼吸瞑想では、呼吸を身体にぜんぶ任せちゃいます。深くても浅くてもかまいません。速かろうが遅かろうが一切の手出しはしません。
 呼吸をただ優しく見守ります。身体に呼吸をすべて任せます。

◎呼吸瞑想では呼吸を意識しない
 そもそも呼吸の観察というから、呼吸を意識しちゃいませんね。これが大きな問題です。
 一つのコツは、「呼吸を観察する」という意識を外します。意識するのは呼吸ではありません。吸うこと、吐くことを意識しません。
 意識するのは例えば、皮膚の感覚です。鼻先を空気が流れています。鼻の穴を入ったり、出たりしています。その風の流れを鼻の下や入り口、鼻腔の奥などで感じます。
 入る空気と出る空気があって、その違いを丁寧に感じます。

 これは鼻の周りの空気の流れの観察です。そのことに注意を集中します。呼吸は意識しません。分かるでしょうか?
 するとあら不思議、自然呼吸を観察できます。呼吸そのものに手を出すことなく、呼吸を観察できます。これがあるがままの観察です。

 呼吸に気づくとは何に気づくのか? 正確に表現すると「呼吸にともなう身体の感覚に気づくこと」なのです。このことに注意集中すればいいのです。
 まずは集中の相手、気づきの対象を呼吸だとは思わないことです。

 対象はあくまでも、鼻先の空気の流れやお腹の膨らみ縮みなどです。他にもあります。
 お腹だけではなく、腰も膨らんだり縮んだりしています。胸や背中も同じです。その膨らみ縮みに注意を集中します。呼吸は意識しません。

 呼吸を意識するから呼吸をコントロールしちゃいます。コントロールしちゃうから自然呼吸ではなくなり、あるがままの呼吸の間髪にならないのです。

 あるがままの観察とは、その対象に手出ししないことです。そのままをそのままにただ見ることです。好き嫌いや良い悪いを判断しません。善悪も正誤も関係ありません。そのままを観察します。

◎自動思考に気づく
 私たちには自動思考や自動行動をしています。呼吸はその典型ですね。意識していなくても寝ていても、もちろん覚めていても呼吸をしています。
 その自動行動まま、身体に任せておいて,その呼吸の状態に気づくのが呼吸瞑想です。
 私たちは自動的に歩きます意識しても歩きますが、普段の歩きでは自動的です。この自動的な足の運びを観察しましょう。地面に着いた、離れたことをそのままに気づきます。身体の赴くままに歩かましょう。そのままに観察します。

 自身のあるがままに気づくとは、自動行動に気づくことです。嫌味を言われて、イラッときた、そのままの自分を良いとか悪いとか関係なく、そのまま気づいて、そのまま受け入れます。批判しません。

 そのとき、身体は緊張して、拳に力が入り、呼吸が止まっている。心拍が上がり、感情は昂っており、相手をやっつけないといけないと考えている。とんでもない奴だ、懲らしめるべきだなどと考えている。

 このような自動的に起きている身体の反応や心の動き、思考を観察します。
「身体が震えた」、「この野郎!」と思った、「懲らしめるべきだ」と考えたのは、それはそれで良いのです。そのままでOKなのです。これがあるがままなんですね。それをそのまま、ただ優しく受け入れます。

 そうした反応が起きたことに対して、正当化したり、自分を責めたりする必要はありません。誰だって、イヤミを言われたら「カチン」ときちゃうよね。「そりゃ,そうだ」と、いうわけです。

 イラッと反応している自分をそのまま優しく受け入れます。

 ただ呼吸を観察して、そのまま手出しをしません。自動的に行う呼吸をそのまま観察します。
 同様に、歩く自分の行動をそのまま観察します。「イラッ!」としている自分をそのまま観察します。そのまま優しく受容します。
 第一の矢を受けた自分をそのまま労るのです。
 そうすることで私たちは反撃することなく、自身を優しく受け入れます、第二第3の矢を受けることを防ぎます。

 「イラッ」としたことに気づいて受け入れますが、怒りのままには行動しません。静かに観察するうちに怒りはおさまり、そこで冷静な対処を行います。

 この場合、相手からのイヤミに不快感を感じたのとほぼ同時に身体が反応し、イラっという感情が生じて、その後に思考が動くプロセスを観察するのです。

 これがマインドフルネスを通じた「質の高い判断」となります。自動的ではない、客観的かつ冷静な判断、意識的な判断を可能にするのがマインドフルネスです。それはあるがままの観察から得られもの、呼吸瞑想にそのすべてがあります。

■マインドフルネス瞑想の3大誤解⑥ この話題、思ったより長くなってしまいました。そろそろ終わりにしたいと重いつつ、書き始めたらいくらでもどんどん出てきちゃって、「わー、いくらなんでも facebook向きじゃないな」と反省してます。そろそろ...
16/02/2025

■マインドフルネス瞑想の3大誤解⑥

 この話題、思ったより長くなってしまいました。そろそろ終わりにしたいと重いつつ、書き始めたらいくらでもどんどん出てきちゃって、「わー、いくらなんでも facebook向きじゃないな」と反省してます。そろそろnoteに移した方がいいかな。さてさて〜。

◎実際、どうすればいいのか?
 理屈ばかり述べてきましたが、いよいよ現実の生活でどのようにマインドフルネスを使っていけばいいのかを述べようと思います。

 まず①「あるがままの観察を心がけます。これが判断しないということ。好き嫌いや良い悪いなど、過去の体験に囚われないということであり、自動思考という習慣行動を止めることです。
 とはいえ、私たちは自分の経験のフィルターを通じて、②物事を評価し、判断しちゃいます。それが自動思考なわけですし、③自動的に行動しちゃっているからこそ、修正が難しくなります。

 私たちの自動思考は、過去の「学習の成果」です。自動的に思考し、行動できるからこそ、エネルギーロスの少ない素早い判断と行動が可能になっています。ただ、このオートマ機能の精度が課題となります。いざというときに暴走してもらっては大事故になりますね。
 
 さて、脳はとても大量のエネルギーを消費する臓器ですから、効率的に使わないといけません。過去の経験を活かさず、前回と同じことなのにちっとも効率がアップしないと「学習能力がない」といわれちゃいます。
 一方、マインドフルネスは「初心」で物事を観察することです。過去に経験したことであっても、まるで初めての出来事のように接して、過去の経験に囚われずに「あるがままを観察する」わけです。
 このマインドフルネスの知恵を元に私たちは行動を起こすことになります。それが予断や偏見のない判断や行動ではありますが、見方を変えると「学習能力のない行動」となるわけですね。

 ですから、マインドフルな行動はとても効率が悪いわけです。燃費が悪くてハイスペックなフェラーリみたいな「脳」という臓器を無駄遣いすることになります。
 こんなマインドフルネスをいつも使っていれば当然のことながら、効率は落ちます。「ここぞ!」という必要なタイミングでこそ、使う必要があるわけです。

◎いちばんの課題はマニュアル操作への切り替え
 もう答えは出ました。ターゲットは自動操縦ですが、何でもマニュアル操作にするのは脳の無駄遣いです。
 自動操縦では問題が起きるような場合にだけ、マニュアル操作(Being モード)に切り替えるのが理想的です。これこそがマインドフルネスの成果であり、目指すところでしょう。

 それには、前述したように①日常生活のほとんどが自動操縦(Doing モード)になっていることに気づくことが必要です。
 次は必要に応じて、②マニュアル操作へ切り替えます。自動操縦をいったん保留し、マインドフルに観察(Beingモード)ることで、感情はクールダウンし、私的な価値判断や解釈から自由になります。
 そして広い視野から、③より最適な行動を選択し、ことを進めます。  
 これがマインドフルネスのプロセスを経た「質の高い判断」ということになります。

 こうした「質の高い判断」を行う上で、最大の課題は「必要に応じて自動操縦を保留し、Being モードで切り替えることです。この一点さえ
突破できれば、他は自動的に流れるといっても良いでしょう。

 この手法として、例えばSTOP法やRAIN法、あるいはSOBER法などいくつかの方法が提案されていますが、基本はどれもほぼ同じです。ネットで調べてみてください。  (完)
 
 ※なお、これらSTOP法を実践するコツなど、具体的な方法について、近日中に別途セミナーを開催する予定です。

■マインドフルネス瞑想の3大誤解⑤判断しないってことを言葉の意味から考えましたが、今度は時間軸に沿って検討したいと思います。判断はいつどのようにするのか? これは自動思考とも関わってくる課題です。◎マインドフルネスは判断することを否定しない...
16/02/2025

■マインドフルネス瞑想の3大誤解⑤

判断しないってことを言葉の意味から考えましたが、今度は時間軸に沿って検討したいと思います。判断はいつどのようにするのか? これは自動思考とも関わってくる課題です。

◎マインドフルネスは判断することを否定しない
 先ほど述べたように、「マインドフルネス」は判断することを否定していませんが、カバット-ジンは明確に “non-judgmentally” と述べていますし、彼の発言のなかでは、“present moment” (今、この瞬間)と同じくらいよく出てくる大切な言葉です。
 では、この言葉をどのように理解すればいいのでしょう。

 ここでは時間軸からまず検討します。虫の音をが聞こえてくるのは、空気の振動が鼓膜に当たるからです。単なる物理現象です。
 それに対して、過去の記憶と照らし合わせて、「虫の音」だと認識するとともに、「うるさいなあ」とか、「秋だな」といった印象が浮かんできて、そこにはもう判断が入ってきます。その後、さらに連想が進むわけですね。

 その「秋」から恋人とのデートや紅葉を連想するかもしれないし、「うるさい」から何か別の騒々しいことをイメージするかもしれません。人の記憶は連想ゲームのように展開していきます。すると私たちはもう思考のなかに埋没しています。

 マインドフルネスの「判断しない」という意味をもう少し詳しく表現すれば、「感情に流されたり、過去の経験や先入観に囚われたりすることなく、客観的かつ冷静な視点から出来事を観察すること」だと考えてよいかと思います。
 ここで大切なのは、その判断がどれだけ個人的な体験に影響されているのかどうかです。「虫の音」という事実の認識(Recognition)はあっても、その後に展開する「好き/嫌い」などのジャッジメントの要素の入っていないところがマインドフルネスとなります。
これだけでもだいぶ気持ちは楽になりますよね。

 この「マインドフルネスのプロセス」を経ることで、私たちは事実に基づいた「質の高い判断」が可能となります。
 判断の段階は、あくまでもマインドフルネスを経た後にやってくるのです。「判断という行為はマインドフルネスには含まない」と言った方が分かりやすいのかもしれませんね。

 繰り返しますが、「質の高い判断」を行うために「判断をしないマインドフルネスのプロセス」が必要です。
 これはとっても大切なポイントです。ここさえ理解できれば、マインドフルネスの「判断しない」に戸惑わなくなるでしょう。

 「質の高い判断」には、色眼鏡で物事を見ないということ、つまり客観的な視点で物事を観察することが必要だ、と表現すれば誰もが納得されると思います。
 ある意味、当たり前なので、「そりゃ,そうだ」で終わりそうですけれど、ただそういうことだと、まずは捉えてみると、そう難しくは感じないでしょう。

 なのに、音が聞こえてきた途端に「虫の音だ」、「車の音だ」と判断しちゃった、「○○さんの声だと思った」、「これじゃ、ダメだ」と思っていると、とてもとても身が持ちませんし、トレーニングは進みません。ダメダメ、ダメばかり出されると、トレーニングできませんね。

 そこはそれと認識して、ただそのまま受け取ります。「○○さんの声はうるさいなあ。あの人はいつも声が大きくて苦手だなあ」といった価値判断が出てきても、自分が「価値判断をしたな」と気づいて、それをとりあえずは棚上げしておくわけです。これって、自分が判断したと気づけば、棚上げもできますね。

 とはいえ、そう簡単ではありません。客観的な視点から、出来事を「あるがままに観る」ということを心掛けていると、そこに自分の色眼鏡がどうしても入ってきてしまうことに気づくでしょう。
 最初はこの「気づき」が大切です。次第に少しずつ、気づくことで「色眼鏡を外す」ことができるようになります。そうかもしれないし、そうでないかもしれない。まあ、いいかといった「ネガティブ・ケイパビリティ(不確実で曖昧な状況に耐える納涼→判断を保留する能力)が身についてきます。

 「誰もがみんな苦手というわけではない。大きな声だからこそ、いいことだってたくさんある」といった別の見方ができることにも気づきます。
 これも価値判断の一つといえば、それまでですが、これはもう自動思考ではありません。自分の判断を観察した上で、その判断を保留しつつ、一般化した視線から観察できているのです。

 最初から「色眼鏡をかけて観てはいけない」といっても無理です。「あれ? 色眼鏡で観ちゃったな」と気づくことができれば、自身の認知を修正することができます。
 これで十分だと考えてよいと思います。それぐらいに考えることで、少しずつマインドフルネスの精度は高まっていくでしょう。

    ★ ★ ★

 マインドフルネスの意義はどこにあるのか? 話があちこち行ってるので、少しだけまとめます。ズバリ!重要なポイントだけ述べますね。

 ①自動思考&自動行動に気づくこと
 ②自動行動に至る前にいったん保留・観察すること
 ③その間に冷静さや客観性を取り戻し、広い視野からの
  意識的な行動選択を可能にすること

 ちなみに①の自動思考の多くにネガティブなものが含まれるため、ここからストレスは増大します。

 ②というマインドフルなBeing モードを経ることで、自動行動は阻止され、より適応的な行動(ストレス対処)が可能となります。
 マインドフルネスは気持ちの冷静さや客観性を必要とするものであり、その状態そのものにリラクセーション効果があります。  (つづく)

■マインドフルネス瞑想の3大誤解④ いよいよ3つ目の「判断しない」という誤解について述べたいと思います。「えー? でも、ジョン・カバット-ジンも“判断しない”と、言ってるのじゃないの。なのに誤解ってわけ?」 そんな声が聞こえそうです。◎判断...
15/02/2025

■マインドフルネス瞑想の3大誤解④

 いよいよ3つ目の「判断しない」という誤解について述べたいと思います。「えー? でも、ジョン・カバット-ジンも“判断しない”と、言ってるのじゃないの。なのに誤解ってわけ?」
 そんな声が聞こえそうです。

◎判断や評価をしてはいけないのか?
 この3番目の誤解はけっこう深刻です。マインドフルネスに取り組むたくさんの人たちの長年の悩みの種となっているでしょう。私も、かつては10年以上は悩んで、考え込んでいました。

 マインドフルネスでは「評価や判断をしちゃいけない」とよく言われます。マインドフルネスの神様みたいなジョン・カバット-ジン博士がそう定義したのですから、ほとんどの人は文句なんか言えませんよね。みんな頑張ります。

 けれど、「評価や判断を手放す」ってことは、本当に難しいですね。これも「無」になるのとちょっと関連していそうです。

 ところで、何の評価や判断もしないで生活することなど、そもそも不可能です。人間ですから好き嫌いはあって当然ですし、良いとか悪いの判断もせず、落ちてる団子を拾って食べるわけにもいきません。信号が赤なのに、「止まる」という判断をしなかったら、それこそ車に轢かれて「無」になっちゃうでしょう。

 判断することをマインドフルネスは否定しているわけではありません。そんなことしたら、明日から,いや今日からもう生きてはいけませんね。

 そもそも何か行動する場合には、そこには必ず目的があり、判断や評価が必ず伴います。
 これは避け得られません。判断することなく、私たちほんの一歩たりとも、歩くことさえ叶わないでしょう。
 このことに、たぶん誰も反論できないと思います。

 それなのに「判断しない」なんていう無茶ぶりをされて、マジにそれに取り組もうとすればするほど、私たちは悩んでしまい、場合によっては瞑想に取り組むほどストレスをためちゃうなんてことにもなりかねません(はい、笑い事です)。

◎ジョンのいう「判断しない」とは?
 では、ジョンカバット-ジンの定義は間違っているのかといえば、もちろんそんなことはありません(恐れ多い)。

 私も10数年前に直接、面と向かって、彼から聞きました。「判断はしていい」のだと・・・。当たり前ですね。
 とはいえ、やはり何だかよく分からなくて、その後も悩み続けました。
 ちなみにマインドフルネスでは何だかよく分からないことがよく出てきます。説明を聞いても分からないのですけど、あるとき、ふと腑に落ちるんですね。そんなことがよく起こります。

 それはともかく、おそらくここには2つの大きな課題があります。この2つを理解していただければ、心の負担はかなり楽になると思います。
 1つ目は「判断しない」ということの意味ですが、カバット-ジンは英語で “non-judgmentally” と表現しています。
 この言葉は実は日本語の「判断」とはややニュアンスが異なっており、審判や価値判断といった意味となります。これが誤解の始まりだと思います。

 日本語では「これは“りんご”だ」とか「“車の音”だ」といった事実の認識や
「信号が赤だ」といった識別についても「判断」という言葉を使います。
 遠くから鳥の鳴き声が聞こえて、「あっ鳥がいる」と思います。私たちはこれも「判断」だと考えますが、これは英語の“Judgement” ではないのです。

 音はただの音として受け取り、鳥の鳴き声であるといったことも思い浮かばず、ただの音として捉えるといった考え方も確かにあります。けれど、これは至難の技、マインドフルネスでそこまでやる必要はありません。この言葉の問題が1つ目の課題です。

 とりあえずは、ジョン・カバット-ジンのいう「判断しない」というのは、良い/悪い、好き/嫌い、正/誤、善/悪など、いわゆる価値判断をしないと考えてください。
 虫の音を聞いて、秋の情緒を感じる人もいれば、「うるさいなあ」と思う人もいる。この虫の音をまでは事実の認識として、その後に好き/嫌いといった判断をしないとまず考えておいてください。

◎「現成公案」の示す意味
 曹洞宗の開祖、道元禅師の著書『正法眼蔵』の最初に出てくるのが「現成公案」です。
 この「現成」や「公案」や『正法眼蔵』を解説できるほど私は理解していませんが、このタイトルがちょっと気になるのてす。

 まず、「現成」とは、「目の前に、ありのまま現れること」を意味します。
 後ろの「公案」は、「国家の法令のこと」を指しています。禅問答に出てくる問いかけのことを公案とも言いますけれど、原義は「法令」のことです。

 法令ですから「公案」に対して、あれやこれやと文句を言っても無駄です。ルールに対して好き嫌いを言ったり、個人的な視点から正しいとか間違いだと言っても仕方がありません。
 つまり、公案とは「個人的な感情や価値観を挟むことなく、守るべきこと」を意味するわけです。

 というわけて、この二つの言葉からなる「現成公案」は、「目の前にあることそのまま、あるがままが真理であり、そこに私的な価値判断を加えない」という意味となります。
 まさに、マインドフルネスの定義と同じだといってもよいでしょう。このことに気づいたとき、私はちょっとびっくりしました。

 また、現成公案には、かの有名な「仏道をならふといふは、自己をならふなり」とありますが、仏道は「自分自身を知ること」だというわけです。

 この「自己をならふといふは、自己をわするるなり」と続くわけですが、自分自身に執着しては自分のことが理解できないわけですね。自身の価値観を保留することが大切であり、判断評価を置いておくわけです。

 そして、自己をわするるといふは、「万法に証せらるるなり」と言います。
 自己にこだわらないからこそ、そこで得られるものには普遍性があり、万法(この世の全て)によって自己という存在が示されることとなる。
 このことは「自己の身心および他己の身心をして脱落せしむるなり」と書かれています。自己も他己も同じように、心の自由を得ることとなる。
 今のところはこんなふうに理解をしていますが、「身心脱落」というのがまだ腑に落ちてはいません。
 
 いずれにしても、「現成公案」はこんなふうに書かれており、マインドフルネスでも同様、出来事を「あるがまま」に観察しようとすればするほど、自身の執着に気づき、その囚われから少しずつ開放されることで、心の自由を得ます。
 マインドフルネスの考え方は、実は「曹洞禅とかなり近い」のではないかと想像しています。

住所

Bunkyo-ku, Tokyo

アラート

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