財団法人日本美容鍼灸マッサージ協会認定鍼灸師
趣味 お菓子作り
(得意なお菓子 子供のオヤツのプリン)
好きな食べ物 チョコレート
好きな映画 ショーシャンクの空に ルパン三世カリオストロの城
好きな小説 坊ちゃん 銀河英雄伝説
座右の銘 「行動あるのみ!」
1966年、昭和41年8月15日、「花火の街大曲」で視覚障がい者の父が経営する鍼灸マッサージ治療院の長男として院長が生まれる。三歳上の姉がいる。
終戦記念日に生まれたので、「平和を愛する人間になるように」との両親の思いを込めて「和彦」と命名された。
幼少の頃から、父が患者様の手、背中、お腹に手を触れるだけで 「体調がよくなったね。」 「かなり疲れてるね。大変だったでしょう。」 と体調を言い当てるのを不思議に思っていた。
驚く患者様に、「お肌に触れると体調が分かる。体調が良くなるとお肌の調子も良くなる。」と笑顔で話す父と鍼灸マッサージに尊敬の念を持ちながら育つ。
大きな病気もせずに元気に育ち、剣道の動きの美しさに憧れ小学3年生から地元の剣道スポーツ少年団に加入。
団体戦の大将として小6の時には全国選抜剣道大会出場、中3の時に秋田県総体で優勝し秋田県代表として日本武道館へ行き、高3の時には秋田県の県南地区大会優勝と二十歳まで剣道に浸りっぱなしの生活を送る。
中1からはフォークギター、高1からはエレキギターにも夢中になり、高校時代は勉強が後回しになってしまった事もあった。
もう一つ中学高校時代に勉強以外で夢中になったのが「お菓子作り」。 クッキー、アイスクリーム、パウンドケーキなどを日曜日の部活動が終わってから良く作っていた。現在もお菓子作りは継続中。
高3の夏、進路に悩んでいた頃、患者様が父の手を取り涙ながらに「どこの病院でも治らなかった痛みが治りました。」と感謝する姿を見て感激し、多くの患者様に笑顔で接する父親の背中を追い掛けて鍼灸マッサージ師になることを決意する。
高校卒業後に上京して東京医療専門学校に入学。
昭和63年に鍼師灸師あん摩マッサージ師の資格を取得。その後、剣道の稽古で怪我をした自らの経験から、外傷に対応する技術も取得したいと思い同校の柔道整復師科の夜間部に入学。
昼は鍼灸治療院に勤務しながら夜は学校で勉強し、実家からの仕送りを断って自ら学費と生活費を捻出。早朝から深夜まで仕事と勉強漬けの2年間を送る。
途中、疲労がたまり体調を壊して2か月ほど寝込んでしまった事もあった。
そして平成2年に柔道整復師の資格も取得。
臨床経験を積むために東京都内の鍼灸整骨院と整形外科医院で研修し、延べ2万人以上の臨床を積み、25歳で実家に戻り鍼灸マッサージ業を継ぐ。
始めは父親の助手として鍼灸マッサージの仕事を始める。徐々に患者様の信頼を頂けるようになり、29歳の時に治療院を新築。
常に新しい知識と技術を追い求め臨床に還元。父親も継続して現役で臨床をこなして経営も安定する。
その頃、剣道とギター三昧で勉強を全くしなかった高校時代を反省して放送大学への入学を決意。
視覚に障害のある父親の影響で幼少の頃から身体障害者との交流があった事から大学では福祉系学部を専攻。
忙しい仕事の傍ら夜に睡魔と戦いながら勉強し、9年がかりで放送大学を卒業し学位を取得。
同時にスポーツトレーナーとしての活動も本格化。
特に秋田県剣道連盟のトレーナーとして平成19年の秋田国体において剣道競技4種目完全優勝に貢献。多くの人々に笑顔を届ける事を達成し自信を深めた。
しかし仕事が順調な反面、「身近な師匠である父親に追いついているのか?自分に足りない物は何か?」と悩む日々でもあった。
ここで一つの転機が訪れる。 41歳になった時、北海道で行われたある鍼灸関連学会に参加した際に多くの同業者と接したお陰で、「自らを育ててくれた東洋医学」と「地元の鍼灸マッサージ業界」の発展に貢献する事が自分の進む道だと目覚める。
以降、積極的に地元の鍼灸マッサージ業界団体である「一般社団法人秋田県鍼灸マッサージ師会」の活動に従事し、平成23年からは副会長、平成27年からは会長を務める事になる。
社団法人総会での挨拶
各種講習会講師として
ボランティア活動
東日本大震災時は災害直後に岩手県山田町に被災者の皆さまを鍼灸マッサージで元気をお届けしようとボランティアで現地入り。その他各種スポーツ大会でもボランティアで鍼灸マッサージの普及に努める。
平成23年4月運命の女性と出会い翌平成24年結婚。平成26年長男誕生。平成30年に次男誕生。妻の手伝いもあり仕事は順調に推移。
ある日「治療の翌朝はお肌しっとりで化粧ののりが良いです!」と、ある患者様からの言葉で大きな気付きを得る。
ここで父が繰り返し患者様に伝えていた「お肌に触れると体調が分かる。体調が良くなるとお肌の調子も良くなる。」との言葉がよみがえる。
妻がいつまでも美しく健康であって欲しいとの思いもあり、秋田県ではまだめずらしい美容鍼灸をメニューに取り入れる事を決意。文献、各種セミナーで研究を始める。
しかし、顔への鍼の本数が多い、長い鍼を使用する、電気刺激を使う、頭蓋骨の調整など各論入り乱れる美容鍼灸の手法に翻弄され悩み、臨床に活かす事が出来ずにいた。
ここでまた一つの転帰が訪れる。
平成28年11月、日本で23年ぶりに開催された世界鍼灸学会の会場で「一般財団法人 日本美容鍼灸マッサージ協会(JFACe)代表理事」で「ハリウッドスタイル上田式美容鍼灸 創始者」の上田隆勇先生との運命的な出会いにより美容鍼灸に対する迷いが払拭される。
「お顔は身体の鑑」として、
「鍼灸マッサージで全身治療し、内臓機能や自律神経に作用することで心身ともに健康になり、少ない本数の鍼で最大限の美容効果を出すと共に鍼灸マッサージの普及に貢献する」
という(財)日本美容鍼灸マッサージ協会の方針に強く共感。
多くの方に美と健康を提供させて頂く事を決意して、
平成29年5月に(財)日本美容鍼灸マッサージ協会認定鍼灸師となる。
その結果、
「お肌が綺麗になって職場のみんなに若くなったねって言われて嬉しい。」
「お肌だけでなく、体のいろいろな悩みの相談にも丁寧に対応してもらえてとてもよかった。」
「体調がとても良くなった。」
「鍼治療って怖くない。」
など、患者様から多くの喜びのお言葉を頂くことができた。
幼少の頃に父からよく聞いた「お肌に触れると体調が分かる。体調が良くなるとお肌の調子も良くなる。」との言葉を改めて強く実感する事となり、「これこそが自分が長年探し求めていた道だ。」と確信する。
続く6月には東北で唯一の(財)日本美容鍼灸マッサージ協会認定治療院となる。
現在、 国家資格取得後の職歴30年、延べ15万人の豊富な施術実績をもとに、
「自分を変えたい!変わりたい!」
という皆様の思いを実現して頂く為、鍼灸マッサージをご提供いたします。
今後の展望
東洋医学と西洋医学の分野を問わず多様な専門家と交流し、全国の鍼灸マッサージ治療院が多くの人たちに「まずは鍼灸マッサージの先生に体の相談をしてみよう。」と思ってもらえる「かかりつけ治療院」になることを目指します。