10/09/2016
1人の患者さんの話を書きます。
その方は10数年断酒継続していました。
ある時に「同窓会」に呼ばれました。
勿論その方は周りの同級生に「断酒」していること、「アルコール依存症」であることを表明していました。
途中その方がトイレに立った時に友人がいたずら心で水の入ったコップとお酒の入ったコップをすり替えたのです。
戻ってきたその方は何も思わずお酒の入ったコップを飲みました。
それがきっかけとなり再飲酒。
気が付いたら再入院になりました。
私はその方を誉めてあげたい。
再飲酒したことよりも10数年断酒したことを認めてあげたい。
お酒の席には極力出ないようにしたり、家族は調理酒やみりんを使わない料理を作ったり・・・
家族全体で支えてきました。
その努力がたったコップ1杯のお酒ですべてが消え去ったように見えます。
しかし依存症の方が10数年間も断酒するというのは普通の人には想像もできない苦しみなのです。
誰を責めるのでもなく自分との闘いなのです。
この例にもありますように「断酒」というのは本当に苦しい毎日なのです。
アル法が施行されてからやっと「アルコール依存症」という病気だと認知されました。
断酒会のモットーに「一日断酒」という言葉があります。
一日・・・一日が自分と向き合い、家族もその方を支え「一日断酒」を継続するのです。
大きな犠牲をはらい、どうしようもない悪魔のささやきとも戦い、断酒を継続する。
アルコール依存症は不治の病とも言われます。
死ぬまで治らない病気との闘いなのです。
「自分の意思」でどうにかなるなら病院はいりません。
もう一人の入院患者の話を書きます。
30代半ばの男性患者です。
もしかしたら10代から飲酒していたのかも知れません。
彼には婚約者がいました。
いよいよ数か月後に結婚式を迎えた時に婚約者と一緒に電車に乗って出かけました。
ホームで婚約者が彼に尋ねました。
「あなたはお酒が好きだけど結婚したらお酒を止めれる?」
「いやぁずっと飲んでるから止めれないよ。」そう答えました。
すると婚約者の彼女はホームの端に歩いていき通過する急行電車に身を投げたのです。
彼は血しぶきを浴びました。
毎日夜になるとその場面が現れます。
その記憶(映像)を消したいために更にお酒におぼれていきました。
私たち治療現場のスタッフはカウンセリングや入院、通院している患者さんと毎日向き合っています。
でも「本当の治療」を考えるなら、彼の場合悪夢を見た時に接触するのが本当の治療なのです。
すべてが後手に回るのです。
その場面に遭遇するなんて不可能です。
どうしようもない状況なのです。
人は誰でも病んでから治療機関を訪れます。
でも本当の治療というのであれば、その人が病むきっかけから介入するのが治療だと思います。
訪れる当事者の方にカウンセリングをします。
当事者の方が話したくないこともあります。
触れられたくない過去もあります。
でも時間をかけて少しずつその方の凝り固まった気持ちをほぐすところから始めます。
場合によっては家族にさえ話したことのない出来事や気持ちさえカウンセリングにより聞き出します。
そこから治療がスタートします。
長く根気のいる治療が始まります。
抗酒剤の服用がすべてではありません。
飲酒による内臓疾患の怖さも伝えます。
本人が「好きな酒を飲んで死ねるなら本望だ。」・・そういう人もいます。
見過ごすことはできません。
本音を言えば患者さんに接していたら「あぁこの人は退院したらまた再飲酒するな」ってわかることもあります。
でも少なくとも家族の中に介入できないのであれば、入院中だけでも伝えることを伝え、断酒の大切さを伝えます。
2年前から退院した方で高齢者の方を介護施設に入居できるように誘導しています。
今までに30人近い方々を誘導してきました。
失敗例は2件です。
でもその他の方々は健康を取り戻し断酒継続をしています。
24時間体制の施設の中で声がけをしてもらい通院を続行してもらっています。
断酒できない方々の多くは孤独を感じています。
家庭の中でも会話がなく、再就職しようにも仕事もなく、ただ毎日飲酒することでしか現実逃避できないのです。
アルコール依存症の方々は絶えず飲酒欲求があるわけではありません。
人によって様々ですが欲求の強まるときが周期的にくる場合が多いのです。
介護施設ではその人一人ずつを観察してどのような時に飲酒欲求が強くなるのかを見ます。
日常行動の中でその「兆候」が表れた時に声がけをしたりスタッフ同行で外出したりしてその欲求を他にそらせるようにします。
朝、昼、夜と決まった時間に栄養のバランスが取れた食事が出ます。
ドアを開けて廊下に出ればスタッフの誰かが声をかけてくれます。
そんな環境の中で断酒継続が出来てくるのです。
勿論、「抗酒剤」の服用もスタッフが見守る中で飲んでいただきます。
ちょっとでも隙があればお酒を飲むことしか考えていないのです。
その時期を通りすぎれば少しずつスタッフに心を開き、お酒を飲みたいという欲求を乗り越えるのです。
最初は本当にうまくいくかどうか心配でした。
今は亡くなった小杉先生が生前話しておられた生活環境です。
団塊の世代の中にいるアルコール依存症予備軍・・・・過去の知識や経験によるプライドも持っておられます。
酒におぼれてしまう自分を十分自覚もしています。
それでも距離を置いて「断酒」出来るのは一人では決してできない・・・そういう病気なのです。