
05/09/2025
こんにちは。市川市、あかつき堂鍼灸院の清水です。
つい最近「水は記憶を持ちウイルスさえ転写できる」という話をSNSで見かけました。それを見て私は、腐った食べ物からウジが生まれる考え方に似ているなぁと思いました。同時に大正生まれの祖母が信じていたことも思い出しました。
ある程度の知識や手段がなければ、そう信じるのも無理はありません。
しかし今の時代であれば、ネットで少し調べれば、誤りだったことは瞬時に分かる。それでも(どんな話でも)無条件に信じる人が必ず一定数いるのは、なぜ私がそのSNS投稿が誤りだ!と思うのかを含めて不思議なことです。
それはたぶん私たちが古来生き残るために必要だったヒトの多様性なのかもしれない、とそんなことを思います。
1.ヒトは虚構を信じる力があるらしい
日々私たちは、あらゆる情報を信じたり疑ったりしていますが何を根拠としているのでしょうか?
世界的ベストセラー『サピエンス全史』にそのヒントが書かれています。著者である歴史学者ユヴァル・ノア・ハラリ氏は、私たちサピエンスが他の種と決定的に違う点は「虚構を信じる力」にあると述べています。
つまり神話・寓話・物語・宗教・法律・権威・国家・法人・通貨・ブランド・などの虚構を共有できることこそが、文明の発展を大きく支えてきたのです。
しかしながら「虚構を信じる」と言われても、あまりに生活に溶け込みすぎていて、ピンとこないかもしれません。
ここでいう「虚構」とは「嘘」や「作り話」という意味ではありません。物理的には存在しないけれど、人々が信じることで力を持つものを指しています。
例えばお金。あの紙切れに(今は紙ですらなくなりつつありますが)なぜ価値があると思うのでしょうか?それはお金には価値があると皆が信じているからに他なりません。
同じように、ドラマやアニメを見て感動するのはなぜか。
墓や社を建てるのはなぜか。
2.虚構を信じるとは?
しかし虚構によって統制が取れると、霊長類で限界数と言われる数百どころか、数万、さらにそれ以上までサピエンスは集団を作りまとまることができる。一方で私たちホモ・サピエンスと同時期にいたネアンデルタール人は虚構を操れなかったため集団行動に限界があり、サピエンスに滅ぼされたという説があります。
3.虚構のアップデート
だから「虚構を信じ共有する」ことが正しいとするならば、それは常に歴史を動かしてきたはず!
そんなふうに考えてみました。
例えば日本。縄文時代は狩猟採集の暮らしでしたが、弥生時代に入ると稲作によって定住が始まり、富の偏りが生まれ、豪族による統治が進む。そして卑弥呼が現れ、より大規模な共同体がまとまるようになる。
さらに『古事記』や『日本書紀』などの神話の編纂によって天皇は天照大神の子孫となり、徐々に国をまとめる基盤が固められていきやがて仏教や摂関政治がその権威と結びつく。
時代ごとに「何をどう信じるか」というパワーバランスが重要になる。つまり時代が進むと次第に「信じる対象」は次第に多様化し、もはや単純な虚構だけでは社会を統合できなくなってきた。
そして大戦後、民主主義や資本主義を信じる共同体へと大きく価値観を転換させた。
そう考えると、日本の歴史を動かしてきたものは、常に「虚構のアップデート」だったとは言えないでしょうか?
そして今も、信じる虚構の対象が変わっただけで、構造は何ら変わっていないのではないか?ネアンデルタール人には、そんなことはできなかったのので結果的に滅んだ、そう思うのです。現在においては、その虚構のあり方が個人レベルまで細分化しているように思えます。
端的にいえばSNS。
4.「いいね!」やフォロワー数
「いいね!」は、個人をある程度の信用度を示し、権威の指標となりあます。そしてこの「いいね!」も、もちろん虚構です。
では、鍼灸治療はどうでしょうか。鍼灸治療に使う鍼やお灸は確かに存在します。しかし鍼灸治療は、陰陽や太極、五行といった自然をシンボル化・抽象化し、その記号をあらゆる自然現象に当てはめていくものです。つまり「類推」ということを重視しています。
この類推によるシンボル化・抽象化は、今回の文脈でいえばもちろん虚構です。
5.陰陽五行という虚構
例えば、陰陽および木火土金水という要素を解いた陰陽五行について整理すると次のようになります。(チャットGPTによる)
• 木=肝:春に木がのびやかに成長する姿を、体の気の流れや「肝」の働きに重ねた。イライラや頭痛は「木の力が強すぎる」と表現される。
• 火=心:夏に火が燃え盛る様子を、拍動や熱を生む「心」に対応させた。動悸や不眠は「火が過剰」と説明される。
• 土=脾胃:大地が作物を育てるように、食べ物を受け入れて養分を作る「脾胃」に結びつけた。食欲不振や下痢は「土が弱っている」とされる。
• 金=肺:金属の清らかさや硬さを、白く乾いた「肺」の働きにたとえた。咳や風邪の多さは「金が不足している」と表す。
• 水=腎:冬に水がたまり込む姿を、生命の根や水分代謝を担う「腎」にあてはめた。むくみや冷えは「水が過剰」とされる。
もちろん体の中に木や火があるわけではありません。繰り返しますがこれはあくまで例えであり、自然をモデルにした類推に過ぎない。
しかし、この虚構を通すことで、人々は自分の体と自然を重ね合わせて理解し、施術者と患者の間に虚構という物語の共有が生まれるのではないでしょうか。
6.再現性という虚構
一方で科学(現代医学)は「同じ条件下では同じ結果にならなければならない」という再現性という物語を採用しています。これは現代で最も強力な虚構の一つです。
そう考えると、やはり私たちは虚構を信じることで繁栄してきたのだと思います。私自身、鍼灸治療をアナロジーとして扱い、その虚構を媒介に仕事をしています。
であれば「水が記憶を持つ」という話も、虚構として機能してしまいます。もちろん再現性という物語を重視する科学では、それは誤りです。ですが、それでもなお「信じたい」と思う人がいて、その信念が共有されれば物語として一定の力を持つのです。
虚構は、あくまで虚構にすぎません。だからこそ私は虚構に惹かれるのだと思います。
7.虚構に基づく鍼灸治療
鍼灸治療がアナロジーの物語ではなく、科学の土俵に乗って評価されるとき、再現性という基準においては限界が見えてしまいます。
症例は一つひとつ異なります。薬のように万人に一度に服用させて再現性を測るのには全く向いていません。一対一で行われる鍼灸治療は「同じ条件下で同じ結果」を保証することが難しいからです。
しかし、だからといって鍼灸が「ただの思い込み」だとは言い切れません。患者と施術者が五行や陰陽といった虚構を共有することで、体の変化に意味づけを与え、行動を変え、回復を促していくからです。虚構は、身体の内側に物語を立ち上げる仕組みとして働くのです。
科学の虚構は「再現性」を支柱として社会を動かしてきました。鍼灸は「物語の共有」を支柱として人を支えてきたといえるのではないでしょうか。どちらも虚構であり、どちらも人間が信じることで初めて力を持つのです。
結局、私たちはいつの時代も、虚構を選び、虚構に生かされてきました。そして虚構によって滅んでいくのかもしれませんし、より虚構のアップデートによって発展していくのかもしれません。
知らんけど。