10/11/2025
人を治療する時、私たちはその人を「物」として見るのか、それとも「エネルギー」として見るのか――その視点の違いによって、見える世界も、導かれる結果も大きく変わってきます。
たとえば、ある人の頭頂骨に触れているとします。頭頂骨は本来、側頭骨との間で閉じたり開いたりを繰り返していますが、Aさんの右頭頂骨はどこかぎこちない動きをしている。 「なんだろう、この違和感は?」と、骨の動きを観察しようと意識を向けると、かえってその動きが見えづらくなってしまうことがあります。
そんな時、その人の存在を「エネルギー」として捉えてみると、本人のエネルギー、場のエネルギー、そして私自身のエネルギーがひとつに溶け合い、その流れの中で、その人の状態が自然と浮かび上がってきます。
すると、「右の頭頂骨が、前頭骨に近い前方で外にせり出したまま閉じられないんだな」ということが、なぜかエネルギーの中で感じ取れるようになります。
量子力学には「不確定性原理」(ハイゼンベルク)という考え方があります。 これは、位置と運動を同時に特定することはできない、というものです。
人の動きを観察しようとした時、その位置から運動を特定するのはとても難しい。 相手のエネルギーは構えてしまい、自分の運動神経が感覚神経の邪魔をしてしまうからです。
一方で、位置を特定せず、流れるエネルギーとして自分も相手も捉えてみると、その場の運動の流れが自然と炙り出されてきます。
この視点は、日常の痛みやしびれにも応用できます。
「この痛みは何だろう?どうすれば治るのだろう?」と、物として観察してしまうと、目に見えないものの状態はとても捉えづらくなります。 僕の感覚で言えば、それはとても冷たい見方です。
けれど、人を「心」や「魂」という形のないエネルギーとして見てみると――
「ああ、ここは元気がなかったんだな」
「ここは動いていないんだな」
「ここは固まっているんだな」
と、不思議とわかりやすく感じられるのです。
身体を「物質」として見れば粗く見え、「エネルギー」として見れば細かく見える。 私が身体をエネルギーとして見ることをおすすめする理由は、ここにあります。
エネルギーは本来、調和しています。すべてはひとつの流れの中にあるからです。 その流れの中に、揺蕩うように身を委ねて全体を感じていると、もがき苦しんでいる部分――弱点とも言える箇所が、自然と浮かび上がってきます。
その部分に、愛を持って眼差しを向けてみる。 すると、調和の力が静かに、しかし確かに立ち上がってくるのです。
にしかわオステオパシー
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