エヴァホール

エヴァホール 主な契約先:国家公務員共済組合連合会、社会福祉法人福利厚生センター、
岡山県年金受給者協会、岡山県警察職員互助会、
岡山県学校生活協同組合、岡山県弁護士協同組合、岡山県病院協会、
JA全農おかやま、JR西日本グループ 他

株式会社いのうえが運営する綜合葬祭式場エヴァホールは、令和五年に創業百十年を迎えました。安心と信頼のもと、ご家族のご要望に合わせ家族葬から社葬までのお葬式をご提案しています。大正2年の創業以来、倉敷の地で葬祭業を営んできた歴史があり、家族葬や一般葬など大切な家族だけでゆっくりと過ごせる空間を提供しています。また大型葬にも対応し 最大200名収容の式場を完備し、参列者の多い葬儀にも対応しています。

会報誌「儀礼文化」の古刹巡り(古刹を訪ねて)定期掲載8回目※掲載内容は取材当時の原稿のままで記載しております。「儀礼文化 六号」平成13年7月(2001年)倉敷市総鎮守 阿知神社 倉敷市 倉敷の古名は四世紀頃、「阿知」と呼ばれていました。倉...
14/04/2026

会報誌「儀礼文化」の古刹巡り(古刹を訪ねて)定期掲載8回目
※掲載内容は取材当時の原稿のままで記載しております。

「儀礼文化 六号」平成13年7月(2001年)

倉敷市総鎮守 阿知神社 倉敷市

 倉敷の古名は四世紀頃、「阿知」と呼ばれていました。倉敷市西部地域の西阿知という山陽本線の駅がありますが、これは古代の呼名を今も残しています。又、倉敷市街の北方にある福山のふもと生坂あたりから東部地域を含めて東阿知と呼ばれていたのです。
 倉敷市街地の中心鶴形山の山頂に総鎮守の阿知神社があります。神社の由来によれば、応神天皇(四世紀頃)の頃に、阿知使主が韓国より十七県の人達を率いて帰化してきました。(日本書記)一族は、今の倉敷周辺に住みついたと伝えられ地名「阿知」の発祥の由緒となっています。
 阿知神社の社記によると、「神功皇后が三韓外征の際、当時海(吉備の穴海)であったこの周辺にさしかかったとき、嵐にあって暗夜に航路を見失い交通交易の神である「宗像三女神」に祈願された。その時三振の剣が明るく天空に輝いてこの地に降り水路を照らしたので無事航海を続けられた。」とあります。
 応神天皇の御世に三女神を祀り、明剣宮と称したのが、阿知神社の縁起とされています。以後、交通交易や商売繁盛の神として信仰を集めてきました。
 神域は、市街地の中心、鶴形山の頂上にあり、四季の花が咲き、鳥のさえずりが聞こえ、大自然の恵を受け生命力あふれています。阿知神社境内にある「阿知の藤」は有名で、五月、花が見事に咲く時季には多くの人が神社に参詣し花を観賞します。
 今年もNHKTVきびきびワイドで放送されました。
 そこで阿知神社の宮司小野直臣さんの「阿知の藤」と「太平記」所感をご紹介します。
阿知神社社内にある境内神社は、荒神社、菅原神社、倉敷護国霊社があります。荒神社の真後ろに倉敷市花の基とされる阿知の藤棚が拡がり、その中央の後方に近郷で一番高い福山(三百メートル)が聳えています。
 この藤棚の下に倉敷市が昭和三十一年に建てた立札がある。当時で樹齢約五百年とされていますから、今から約五百五十年も前から学名「曙藤」の名通り、風薫る五月には、夜明けを感じさせる薄紫に朱をさしたような美しい花を咲かせ続けてきました。
 「太平記」によれば、延元元年(一三三六)五月、九州より東上してきた足利尊氏の大軍三十万を前に、関係の新田義貞の先鋒、大井田氏経の手兵千五百が三日奮戦して全滅しております。(福山夏の役)
 一週間後の兵庫・湊川の戦では南朝方は一日で壊滅していますから余程の戦であったことが想像されます。
 その前年建武二年(一三三五)には、備中の目代(国司代理・郷土の人・文官)である淨智が備中の地頭・御家人に尊氏を討つよう要請しましたが、従わず、我が郷土勢から成る手勢数百人が虚を突かれて討死したとあります。(福山冬の役)
 当時の河岸線は福山のふもとですから、討死した大半は海流と生活圏を共にする広範囲の島人だったと思われます。彼らにとって数百人の手勢を送り出すことは大変なことだったでしょうし、討死して残された妻子が再び不死鳥のように甦ってくるには百年の歳月を要したことでしょう。夫が、父が、戦死した福山の嶺を見据えて、海を隔て最も近いこの丘に社を築いたとしても不思議ではありません。
 福山の戦いで壊滅に瀕した鳥人達が力を合わせて不死鳥のように甦り、夜明けの迎えた証、それが五百五十年前から今に続く曙の花「阿知の藤」ではないでしょうか。
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家族葬 いつか心を支えてくれるかけがえのないものに「家族葬って、費用が安く済むでしょう?」お客様から時折そのような問い合わせがあります。「家族葬」は、会葬者がご家族や一部の親しい方のみであるため確かに費用を必最小限に抑えることができますが、...
07/04/2026

家族葬 いつか心を支えてくれるかけがえのないものに

「家族葬って、費用が安く済むでしょう?」
お客様から時折そのような問い合わせがあります。
「家族葬」は、会葬者がご家族や一部の親しい方のみであるため
確かに費用を必最小限に抑えることができますが、
最初は価格面ばかりが注目され、
「家族葬」の本当の意義を見失いつつあるようにも感じられます。
エヴァホールでは「家族葬」プランをご用意していますが、
私たちが考える「家族葬」の本質とは、
ご家族が雑務や段取りに振り回されることなく、
親しい方々と思い出や悲しみを分かち合える
「温もり」にあふれた時間を過ごせること。
私たちはその実現のためにできることすべてを
ご提供したいと考えています。
たとえば、家族葬専用式場のファミリエと自浄庵で
一日一組様貸切というルールを設定したもの、そのひとつ。
誠心誠意を込めてお手伝いさせていただく、
その一日の「温もり」が、さらに家族の絆を深め、
いつか心を支えてくれるかけがえのないものになるように。
私たちはいつも、人を想うことからはじめます。

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会報誌「儀礼文化」の古刹巡り(古刹を訪ねて)定期掲載7回目※掲載内容は取材当時の原稿のままで記載しております。「儀礼文化 七号」平成12年3月(2000年)清流山 地蔵院(高野山 真言宗)倉敷市「地蔵院さん」の愛称で市民から親しまれている青...
29/03/2026

会報誌「儀礼文化」の古刹巡り(古刹を訪ねて)定期掲載7回目
※掲載内容は取材当時の原稿のままで記載しております。

「儀礼文化 七号」平成12年3月(2000年)
清流山 地蔵院(高野山 真言宗)倉敷市

「地蔵院さん」の愛称で市民から親しまれている青龍山地蔵院は、高野山真言宗の倉敷別院でもある。
 JR倉敷から南へ美観地区の方向へ進む倉敷中央通りを歩いて10分、三つ目の信号右側に三階建の鉄骨コンクリート造りの寺院・地蔵院がある。
 寺伝によれば、同寺は昔、現在の倉敷市笹沖の葦高宮の別当・新宮寺の塔頭の一梵刹であったと記されている。
元禄の頃まで「青龍山地蔵院井上寺」と称され、本尊は地蔵菩薩、脇侍に性善・性悪の両童子を安置。本堂(五間×六間)、客殿(五間×六間)、庫裡(六間×五間)、経蔵(一間半×二間)、大帰堂(二間半×三間)などの諸堂を備えた堂々たる寺院であった。
 天正十三年(一五八五)、熱海法印は新開地・日吉(現在の倉敷西中学辺り)に移転し、中興開山した。さらに第五世秀厳法印が貞享年間(一六八四~八八)に現在地に移転し、現在の寺号を公称した。
 こうした記録は「神遊山古記」にも登場する。「聖武天皇の御宇初めて別当の寺院を居られ、山上に数箇寺有しとぞ、後三條院御宇智上人此寺に住ひ社法定る、其寺院には神遊山神宮寺、明王院、安楽坊各智空上人の流れを汲む、天正の頃より諸寺皆山を下りて新開地に移る、即ち神宮寺は西阿知に移る。遍照院是なり、井上寺は日吉より更に倉敷に移る、地蔵院是なり」とある如く倉敷の干拓によって移転したことが窺える。
 第九世勝慶の代には、奈良・信貴山朝護孫寺の毘沙門天を迎え遠近各地から参詣する人が多く毘沙門信仰を集めた。これを聞いた備前藩主・池田継政は毎月、勝慶を城下に呼び説法を聞き、自作の仏像や供物を寄進。八間四面の本堂や迦藍を建立し、寺観を一新したという記録が残されている。しかし、明治元年十二月、火災により灰燼に帰した。明治三十年四月、第十七世恵戒は信貴山朝護孫寺の出張所を寺内に設け入寺。同四十二年に本堂を再建、衰運挽回し、今日に至っている。
 別院に昇格するのは、明治三十年四月に入寺した第十七世恵戒住職の功績によるもの。恵戒は明治元年十月火災により灰燼に帰し、一時無住の状態だった地蔵院に、信貴山朝護孫寺の教会出張所を寺内に設け、布教活動に専念し、本堂再建、衰運挽回し、更に恵戒住職は幼児教育の重要性を感じ、境内に御国学園(幼稚園)を創設するなど、布教教化と幼児教育に挺身した。
 こうした功績が認められ、昭和二十六年、本山特旨昇格として「別院」に昇格したのである。その後は倉敷の都市開発計画が持ち上がると、率先して寺城を市に寄贈した。又、寺院正面の聖観音像は倉敷市民にとってシンボルのような存在であり、併設の幼稚園からは園児の歓声が響き渡り、美観地区界わいの街に新しい息吹となごやかさをあたえている。

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23/03/2026

\\ 葬儀屋さんに聞いてみた //
エンディングプランナーさんに、自分のお葬式で流して欲しい曲をインタビュー🎤
みなさんはどんな曲を流したいですか?
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10/03/2026

\\ 葬儀屋さんに聞いてみた //
エンディングプランナーさんに、亡くなる前に最後に会いたい人をインタビュー🎤
みなさんは誰に会いたいですか?
コメントで教えてください💬

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09/03/2026

\\ あるある聞いてみた //
葬儀会社の総務の方に、このお仕事のあるあるを聞いてみました🎤

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会報誌「儀礼文化」の古刹巡り(古刹を訪ねて)定期掲載6回目※掲載内容は取材当時の原稿のままで記載しております。「儀礼文化 六号」平成11年11月(1999年)千阿彌陀山 光清寺(浄土真宗 本願寺派)岡山市 「光清寺は元は千阿弥寺といって栄町...
06/03/2026

会報誌「儀礼文化」の古刹巡り(古刹を訪ねて)定期掲載6回目
※掲載内容は取材当時の原稿のままで記載しております。

「儀礼文化 六号」平成11年11月(1999年)
千阿彌陀山 光清寺(浄土真宗 本願寺派)岡山市

 「光清寺は元は千阿弥寺といって栄町にあり、時宗の寺でした」。光清寺へお伺いして寺の由来を尋ねると、こんな答えが返ってきた。
 栄町は現在の表町二~三丁目辺りのことで「岡山市の地名」という本によると、万治二年(一六五九)には千阿弥町と伝っていたらしく、栄町と伝われるようになったのは寛文八年(一六六八)だという。
 この千阿弥寺は天正四年(一五七六)、本願寺顕如上人に帰依し、阿弥陀如来の影像を授かり本尊として光清寺に改名、時宗から一向宗(浄土真宗)になったそうである。そして栄町から小原町へ移った。それから千阿弥町は栄町という名に変わったらしい。
 光清寺が小原町へ移った跡地には町会所をはじめ、札場、鐘撞堂、火の見櫓、本陣などが出来たといわれるから、光清寺は岡山の中心地に所在していたようである。
 その光清寺が町の中央から小原町へ移ったのは、寛文七年、時の住職恵海が藩主光政が出した俳仏の書を徹底的に非難し、光政の逆鱗に触れたためだと伝われている。
 小原町は現在の清輝本町、清輝橋一~四丁目辺りであった。当時、町の西に妙恩寺という寺があったが廃寺になったため、跡地に移って今に至っている。
 国道30号線、清輝橋交差点を市内中心に向かって、ものの五十メートルくらい左側に、光清寺はあるのだが、かつて七百坪くらいあった寺地が今では半分くらいに縮小され、気を付けていないと見落としてしまうほどである。
 しかし、臨済宗、真言宗などの多い岡山で、寛文年間には唯一の浄土真宗の寺で、一時はこの地が光清寺前町と呼ばれたこともあったという古刹である。
 戦災で全焼、昭和四十四年に現在の本堂が新築されたが、昨年塗装し直して全く現代風の本殿となっている。わずかなに門内の小庭と本堂南側の中庭に古刹の趣きを残すばかりである。
 現住職は千輪真といわれ、東大・工学部出身で会社退職後、前住職の没後、急據後を継ぐことになったそうで、千葉に居を構えている関係で月に半分くらい帰岡、留守中は住職代理が寺を預かっているそうである。先々代は現岡山大学医学部に勤められていたそうで、先代千輪慧之氏は武蔵野女子大学学長も勤めあれた方である。
 寺には家康が朝鮮征伐の時に送ったといわれる直筆の軸が寺宝としてあるという。元禄年間の岡山城下町地図に、現地に光清寺の那があることから三百年以上この地に続く由緒ある古刹であることには違いない。

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03/03/2026

エヴァホールってこんな会社!!
エヴァホールには自社でお葬式に関わるほとんどのことを内製化しているため、 社内にはいろんな部署があり、いろんな人が在籍しています! みなさんはどんなことが知りたいですか? コメントで教えてください💬

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27/02/2026

\\ あるある聞いてみた //
葬儀会社の総務の方に、このお仕事のあるあるを聞いてみました🎤

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会報誌「儀礼文化」の古刹巡り(古刹を訪ねて)定期掲載5回目※掲載内容は取材当時の原稿のままで記載しております。「儀礼文化 五号」平成11年3月(1999年)長興山 本栄寺(日蓮宗)倉敷市本町 倉敷市美観地区から北に抜ける鶴形山トンネルの入り...
15/02/2026

会報誌「儀礼文化」の古刹巡り(古刹を訪ねて)定期掲載5回目
※掲載内容は取材当時の原稿のままで記載しております。

「儀礼文化 五号」平成11年3月(1999年)
長興山 本栄寺(日蓮宗)倉敷市本町

 倉敷市美観地区から北に抜ける鶴形山トンネルの入り口から、山に沿って東へ百メートルくらい歩くと、日蓮宗長興山本栄寺と刻まれた石碑がある。山門はそこから三十段ばかり上ったところにあって、山門の正面に本堂が見える。
 本栄寺は、縁起におると、元は大高笹沖(足高山南麓)にあって妙法山蓮華寺と称していたが、大高は旧池田領で、池田光政公が儒教を信じて排仏論者であったため、寛永二年(一六二五)、天領だった当地に逃れ来て庵を結び、たまたま鎌倉企ヶ谷本山妙本寺僧心性院日悟聖人が備中地方に巡錫の際にこの庵に泊まられたのを縁に、万治元年(一六五八)長興山本栄寺と改称し、心性院日悟聖人の開山、常照院日教大徳師を初代として今日に至っているとある。
 前身の妙法山蓮華寺の開山は後醍醐天皇第三皇子、恒性法親王。後に日像聖人の教化を受け大覚上人と言われた方で、南朝の忠臣を尋ねるため中国地方に巡錫中。元弘年間(一三三一~一三三四)当地で雨乞いを行い、笹沖の住人たちがその霊感を感じて開山したと伝えられている。
 現住職信解院日寛師(安井智寛氏)は常照院日教大徳師から数えて十八世、取材に際しては「ここでは四百年にも足りませんから古刹とは言えないのですが・・・」とおっしゃるが、前身からすれば六百六十年以上の由緒ある寺。それに境内(六百三十四坪)には、本堂、庫裡・客殿、二天門、鐘楼堂の他に妙見堂、本神大明神祠、位牌堂、清正公堂があり、手の行き届いた庭園、樹木の様、加えて倉敷市街を眼下に見下ろす展望など、仲々どうして古刹としての風格を備えている。
 中でも二天門は宝暦十二年(一七六三)、下津井・阿部吉兵衛成直の寄進によるもので、安置されている持国天王、毘沙門天王の木像は運慶の作と言われ、また、元禄年間(一六八八~一七〇四)に建立された鐘楼の天井画、雲龍の図は岡延年の筆と言われている。
 また境内墓地には、岡雲臥、鶴汀、延年、一水等の岡氏一門の他、平松曼客、馬来古園等の墓碑が岡一門の墓城に現存している。倉敷天領には一宗一寺しかなかったため、この地の日蓮宗徒唯一の寺として四百年余の間、倉敷市民と共に歩んできた本栄寺である。

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13/02/2026

エンディングプランナーさんに、このお仕事のあるあるを聞いてみました🎤

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会報誌「儀礼文化」の古刹巡り(古刹を訪ねて)定期掲載4回目※掲載内容は取材当時の原稿のままで記載しております。「儀礼文化 四号」平成10年7月(1998年)宝寿山観龍寺(真言宗御室派別格本山)倉敷市阿知当山は約一千年前、寛和元年(九八五)現...
30/01/2026

会報誌「儀礼文化」の古刹巡り(古刹を訪ねて)定期掲載4回目
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宝寿山観龍寺(真言宗御室派別格本山)倉敷市阿知

当山は約一千年前、寛和元年(九八五)現在の倉敷市西岡に西安寺慈照院の塔中寺院(坊)として、堯勢律師によって創建された。その頃は北斗山宝積院と称した。
 当時は西岡の辺りが海岸線であり、鶴形山は小さな島であった。戦国時代になると高梁川の流れが変わり、陸地が次第に増え、人が住み始めるようになる。倉敷発生の地といわれる弓場(現・元町)は現在の観龍寺の南下、トンネル辺りである。
 この頃、宝積院(後の観龍寺)も此処へ移転した。文献では文禄三年(一五九四)には既にその存在が確認されている。今から四百年以上前のことである。
 現在、倉敷市の周辺地域や玉島、児島、水島を合わせた大都市であるが、この当時は現在の鶴形山南山麓を中心とした小さな集落であった。
 江戸時代になり倉敷が天領となって発展するに従い、観龍寺の檀信徒も増加して行った。
 宝積院から観龍寺と改称し、檀主大島氏から寄進された現在の地へ伽藍を建立したのもこの頃である。(寛永年間一六二〇年代)
 このように倉敷という町の起源から共に歩んで来たのが、観龍寺の歴史とうことになる。
 更に檀信徒だけでなく、倉敷全体の人々と氏神妙見尊を通じて交流があった。それは西岡時代からの妙見尊も寺と共に移転されたが、そのまま倉敷村の氏神として人々の信仰を受けることになったのである。当時は妙見尊の村まつりは備中では有名な行事であった。
 明治二年に神仏分離令により、阿知神社が町の鎮守として新たに創設され、妙見尊はもとの観龍寺へもどり現在に至る。
 その間約三百年、当山は別当として、妙見山山頂(現鶴形山)に於て北斗護摩を焚く等、町内安全を祈り続けたのであった。
 因みに北斗山という山号の北斗とは妙見尊を指し、宇宙の星の中心を神格化したものである。
 歴代の住職は堯勢律師から今日まで四十四代を数える。その間江戸中期に二度続けて出火、伽藍を焼失したが、檀信徒の協力を得て再建、往時をしのぐ規模に整備され今日に受け継がれた。
 幕末の慶応二年には奇兵隊が倉敷代官所を襲撃し、観龍寺にたてこもり、陣屋を置いたことは有名な話である。その時に傷つけられた槍の穂先の跡が山門のくぐり戸の上に今でも残されていて、倉敷の史跡となっている。

備中西国第二十九番霊場
ご詠歌
罪もかも 消えよと祈る観龍寺
遠きくにより 参る身なれば
 毎月第二日曜日は当山客殿で裏千家淡会により妙見尊に献茶を行う盛大な妙見茶会が催される。

火事を知らせた狐の鳴き声
 言い伝えによると、夜、住職の枕元で狐の鳴き声がする。はてこの辺りに狐など居ない筈だがと思って表に出てみると、稲荷社の方に火の気が見えた。あわてて消し止めたので大事に至らず、稲荷宮の使い狐が知らせてくれたと感謝したとある。江戸の終わりの話か。妙見宮が村の鎮守であった為、寺内の鎮守であった為、寺内の鎮守として享保年間に京都伏見から五社稲荷を勧請し、現在も境内西の端、淡嶋明神と共に祭祀してある。平成十年七月には、そのお堂を全面的に改修した。

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Kurashiki-shi, Okayama
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