05/09/2025
■悪口は本当に悪なのか ― 感情と身体から考える
悪口を言うことは、子どもの頃から「いけないこと」として教えられてきた人も多いでしょう。確かに、相手を直接傷つけたり、陰で人間関係を壊すような悪口は望ましいものではありません。しかし、本当に悪口を言うこと自体が「絶対に悪」なのでしょうか。ここには少し立ち止まって考える余地があります。
心理学の視点から見ると、悪口には一時的にストレスを和らげたり、仲間との共感を強めたりする作用があります。人は不満や怒りをまったく口にしないで生きることはできませんし、感情を無理に押し込めれば、むしろ心身に悪影響を及ぼすことさえあります。つまり、悪口は本質的に「悪」ではなく、出し方や使い方によって意味が変わってくるのです。
大切なのは、悪口を言いたくなるその背景にある、自分自身の感情に気づくことです。「○○は最低だ」と言うかわりに、「私はあのとき、とても悔しかった」と表現すれば、それは攻撃ではなく自己表現になります。日記に書き出したり、一人のときに言葉にしたりするだけで、気持ちが整理されることもあります。また、信頼できる相手に「私はこう感じた」と伝えると、悪口ではなく安心できる吐き出しへと変わっていきます。
さらに興味深いのは、「悪口を言ってはいけない」と強く信じる人が、ときに悪口を言う人を見下してしまうことです。自分は言わないから正しい、相手は言うから未熟だという道徳的優越感が働きやすいのです。しかしこれは、新たな分断を生みます。「悪口を言う人」と「言わない人」という上下関係ができ、対話や理解が難しくなってしまいます。しかもその背景には、自分の中にもある「悪口を言いたい気持ち」を強く抑え込み、他人に投影している可能性があります。そう考えると、「悪口を言わない」という立派な選択も、それを他人に押し付け、見下す態度になった瞬間に、別の形の攻撃になりかねないのです。
私自身、ソマティック・エクスペリエンシングというセラピーを提供していますが、その中では「感情を安全に感じ、体を通して調整する」という姿勢を大事にしています。悪口を言いたくなるとき、その奥には身体的な緊張や、自律神経の過剰な反応があることも多いのです。深呼吸をしたり、足の裏の感覚に意識を向けたりするグラウンディングで、自律神経は少しずつ落ち着いていきます。運動や散歩、掃除などで体を動かすと、言葉にしなくても気持ちが切り替わりますし、絵を描いたり音楽を聴いたりするなど、創造的な活動に感情を流すこともできます。
結局のところ、悪口を言ってはいけないのではなく、そのまま言うと人を傷つけ、関係を壊しやすいということなのです。だからこそ、「安心できる形で感情を外に出す」「身体で調整する」「言葉を言い換えて自己表現に変える」ことが大切になります。そして同時に、「悪口を言わない自分」を盾にして他人を裁くのではなく、「誰の中にも同じ感情がある」という理解を持つこと。それが、悪口に振り回されず、感情を健全に扱う生き方へとつながっていくのです。