風楽自然医療研究所

風楽自然医療研究所 歯科医師、歯学博士、鍼灸師。風楽自然医療研究所所長 筒井重行 著書?

昭和大学歯科病院口腔外科の現場で35年間顎関節症に取り組んで
まいりました。そして、顎関節症を独特な切り口で診てきました。
マウスピースだけでは解決しない、本当の顎関節症の実態を知り、
一つの部位を治すには、躰(からだ・こころ・いのち)まるごと治さ
なければ治らないと、独自に現代医学と東洋医学と新たな医療体系
『風楽療法・ゼロ医学』を開発いたしました。
風楽のゼロ医学には、“かみあわせ学”があり、
*関節のかみあわせ
*からだとこころのかみあわせ
*人間と自然のかみあわせ
*人間と宇宙のかみあわせ
歯1本のかみあわせだけでは治らない!

※本当のかみあわせは全てがかみあうこと。
そして、神=大自然のシステムとかみあうことです。

※からだとこころがかみあうということは、
*人間の体の内部の自然治癒力が動きだす事!
*外部は大自然の治癒力です。

人間はある条件下(ある型)で、未知のシステム

(38億年の生命記憶
の知恵や自分でも気が付いていない個人情報等があり)
が作動すると考えています。
固有の型を探してまずは皆さんのシステムのスイッチをいれ、
動かし続ける為に風楽を日々続ける事をお勧めいたします。

風楽では、だれでも簡単に安全に、ご自宅でできる健康法を皆様に
お伝えしたいと講座を開催しています。チューニングのやり方や
元気スイッチの入れ方や身体感覚(からだ言葉)の
感じ方をご指導いたします。

≪今日のコペル(臨床自然運動学)先生の独り言≫筒井重行が提唱する「臨床自然運動学」からだ日記と自然運動と白隠の環(メビウスの輪)その20「からだ日記」を20年ぶりに読み返してみました。以前は、現代医学の目線のみで読み解いていたことが明らかに...
21/04/2023

≪今日のコペル(臨床自然運動学)先生の独り言≫
筒井重行が提唱する「臨床自然運動学」
からだ日記と自然運動と白隠の環(メビウスの輪)その20
「からだ日記」を20年ぶりに読み返してみました。
以前は、現代医学の目線のみで読み解いていたことが明らかになりました。
今回は、「東洋医学」と「禅」と「現代医学」の3つの目線で読み解き、新たな発見があり勉強不足を反省しております。
新約聖書 福音書 マルコ5章
病の婦人がイエスの衣に触れて治癒したお話は、神の子であるイエスの言葉や祈りに触れるということ。真のイノリは・・・
これは、ヒトが体内に持つ「自然治癒力」の重要性を表しています。
臨床的には、自己が如何にして「自然治癒力=未知の制御システム」を発動させ、病を治癒に導く事の重要性を表しているようです。
東洋医学〜放心望乾坤:未病
仏教医学〜無病、退歩、「不依倚一物」:ふえいいちもつ
現代医学〜重力ゲートウエイ反射、慢性炎症、自律神経
昭和大学歯科病院の口腔外科で「いわゆる顎関節症」の患者さんに日々悪戦苦闘していた時に、遭遇した自然運動という人間が持つ「未知のシステム」を経験し、患者さんからお教えをいただ
き感謝の気持ちでいっぱいです。これからも、日々精進してまいります。
からだ日記の追伸。
身体や「イノチ」と向き合う。
自然と「ヒト」の関わりから、臨床の検査・治療・養生法をこれからも追求してまいります。
新カラダ日記は、健康に生きることの意味を考えながら「カラダ」と「ココロ」と「イノチの流れ」から構成される予感がします。
みなさまに、幸せな風が吹きますように・・・・・・・
           凡夫なコペル(風轉風楽)
              2023-4-20

≪今日のコペル(臨床自然運動学)先生の独り言≫筒井重行が提唱する「臨床自然運動学」からだ日記と自然運動と白隠の環(メビウスの輪)その19今回紹介している絵は、「座頭、丸木橋を渡る」と「隻手布袋図」、「燭台」、「起き上がり小法師」です。作者は...
06/04/2023

≪今日のコペル(臨床自然運動学)先生の独り言≫
筒井重行が提唱する「臨床自然運動学」
からだ日記と自然運動と白隠の環(メビウスの輪)その19
今回紹介している絵は、「座頭、丸木橋を渡る」と「隻手布袋図」、「燭台」、「起き上がり小法師」です。
作者は、白隠慧鶴です(江戸時代中期の禅僧)。
善導(中国唐代の僧)「二河白道」(にがびゃくどう)の、たとえ話
「ある人が西へ向かおうと決心したときに自分の周囲が見えてきました。
南には業火の河、北には津波のような波が押し寄せる水の河があり、後ろからは獣や盗賊が襲ってきて、進むことも退くこともできません。
じっとしていたら死ぬしかない状況のなか、二つの河のあいだに細く白い道が見えました。
しかし、とても行けるような気がしないと怖じけていると、西の方角から「来い」という声聞こえ、東側のこちらからは「行け」という声が聞こえてきました。
西の声の主は阿弥陀様、東の声の主はお釈迦様、つまりさまざまな煩悩に襲われる道を、阿弥陀様とお釈迦様の激励によって歩むことができた」
臨床的には、自分のなかにある未知(道)のシステムを動かすことで健康になると決心することのように思えます。
この未知のシテムのスイッチを入れるには、意識だけでなく、無意識でいれる方法があるようです。
この無意識の力を如何に動かすか?
それは、日々無心に養生法を実践していくしかないようです。
ヒトには、未知の検査法と治療法と養生法が内在しているようです。
「いのちの流れとは・・・・トキである」これを体感することが健康には必要。それには
▪︎全ての出来事の「トキ」がある
▪︎坐禅〜悟りと眠気
▪︎健康〜元気と病気
▪︎涅槃〜仏心と凡夫
▪︎重力〜天から地へ、地から天へ
▪︎病 〜炎症と慢性炎症
▪︎陰陽〜構造と動き(流れ)
▪︎運動〜無意識と意識
▪︎瞑想〜深いと浅い
▪︎臨床検査
現代医学・東洋医学・無病医学(ゆらぎ検査)
       凡夫なコペル

≪今日のコペル(臨床自然運動学)先生の独り言≫筒井重行が提唱する「臨床自然運動学」からだ日記と自然運動と白隠の環(メビウスの輪)その18今回紹介している絵は、「苦中の楽、楽中の苦」と「巌頭和尚」です。作者は、白隠慧鶴です(江戸時代中期の禅僧...
01/04/2023

≪今日のコペル(臨床自然運動学)先生の独り言≫
筒井重行が提唱する「臨床自然運動学」
からだ日記と自然運動と白隠の環(メビウスの輪)その18
今回紹介している絵は、「苦中の楽、楽中の苦」と「巌頭和尚」です。
作者は、白隠慧鶴です(江戸時代中期の禅僧)。
楽は苦の種、苦は楽の種悪人程うるさき者はあらねども、
善人を見いだすの種ならば厳頭和尚(がんとう)は、中国の唐代の禅僧。素晴らしい禅僧でしたが、賊に襲われ首を切られて死んでいます。
白隠禅師は、厳頭和尚の禅画で何を伝えたかったのでしょうか?
お大きな川の流れに自分の二本足のみで立ち、自分の耳目で感じ、
できあいの学問・思想・権威・地位などに倚かからず、自分の中にある真の自己(仏心、仏性、清浄心など)を自覚し、それを自在にはたらかせていくことが大事と表現しているのでしょうか?
医療の現場(心的外傷、道徳的負傷)では、命の流れを意識させる方法で、身心にある無数の無意識のはたらきを誘導させる必要があります、しかし非常な困難をともないます。
それでも、無心で日々患者さんに向き合い続ける必要があります。
そこで、医療従事者自身は「真の自己」の体感を身につける必要がありそうです。
東洋医学では、無病養生法の実践になります。
無(空)病こそ、「不依倚一物」:「ふえいいちもつ」の原点になります。
「いのちの流れとは・・・・トキである」これを体感することが健康には必要。
それには
▪︎全ての出来事に「トキ」がある
▪︎『トキ」は常に揺らいでいる
▪︎揺らぎは、意識と無意識の「間」を揺らぐ
▪︎病気、未病、無病の養生法
▪︎船は、真の自己(仏性)?
▪︎自力(傘)と他力(命の流れ)
▪︎病の根源である「重力」(二つの力、二つの方向性)を如何に体感しそれを臨床に結びつけるか?
▪︎重力の秘密は、独楽の構造と機能を読み解くことが良い。
それは、東洋医学、坐禅の理解につながる。
▪︎いのちの流れは、合掌の秘密を読み解くことが良い
 そして、手合掌する前の、足合掌準備体操がヒントに。
▪︎坐禅時に、「坐板」を頭の上にのせるのも良いかも。
            凡夫なコペル

≪今日のコペル(臨床自然運動学)先生の独り言≫筒井重行が提唱する「臨床自然運動学」からだ日記と自然運動と白隠の環(メビウスの輪)その17今回紹介している絵は、「蟻磨」(ぎま)です。作者は、白隠慧鶴です(江戸時代中期の禅僧)。「磨(ま)をめぐ...
24/03/2023

≪今日のコペル(臨床自然運動学)先生の独り言≫
筒井重行が提唱する「臨床自然運動学」
からだ日記と自然運動と白隠の環(メビウスの輪)その17
今回紹介している絵は、「蟻磨」(ぎま)です。
作者は、白隠慧鶴です(江戸時代中期の禅僧)。
「磨(ま)をめぐり 蟻(ぎ)や世上の耳こすり」
耳こすりとは、耳もとでささやくこと、あるいは「あてこすり」です。
廻る石臼の上をひたすら歩いて、そこから出られない蟻を愚かだと思うかもしれないが、私たち人間だって俗世間であくせくと生きているだけで所詮は「磨をめぐる蟻」みたいなものだと、白隠禅師は我々の耳もとでささやいているのでしょうか。
あくせくと石臼をめぐり歩く蟻を人間にたとえているようです。
凡夫から脱却できない苦しみから、いかにして逃れるか?
石臼は2つの丸い石から構成されていますが、これを「メビウスの輪」と見れば何か解決するヒントがありそうです。
「白隠の環」がその手がかりになりそうです・・・・・・
そうすれば必然的に「隻手の声」が聞こえてくるかも?・・・・
それは・・・・・・「トキ」の声かも?・・・
真の自己の声?
隻手の声とは?
白隠自身が作った公案です。両手を打てば音がするが、では片手ではどんな音がするか、片手の音とはどんなものでしょうか?
それは・・・・・・・・
「いのちの流れとは・・・・トキである」これを体感することが健康には必要。
▪︎大死一番 絶後再蘇
あらゆる執着を捨て切ってこそ、生き返ったかのように自由自在な境地になれる。
大死底の境地とは、死なずとも逆に生ききることです。
死を経験し認識することはできませんので、逆に生ききることに徹底する必要があります。
それには、いのちの流れを確実に身心で体感すれば良いのでは。
そこに、医学、武道、お茶、登山、音楽、芸術・・があるようです。
全ての出来事に「トキ」がある。
身心脱落
堕落論(坂口安吾)
落ちきってこそ、浮かぶせもあれ・・・・・・・
そこには、発想の転換が・・・・・・・・・・・
▪︎無意識と意識
無意識をいかにして、意識で感じることができるか?
それには、あるテスト法が強烈なヒントになる!・・・・
無意識の存在が腑に落ちる。
そうすれば、無病=空病の本質がみえてくる・・・・・
         凡夫なコペル

≪今日のコペル(臨床自然運動学)先生の独り言≫筒井重行が提唱する「臨床自然運動学」からだ日記と自然運動と白隠の環(メビウスの輪)その16今回紹介している絵は、「蓮池観音図」です。作者は、白隠慧鶴です(江戸時代中期の禅僧)。白隠は多くの観音像...
16/03/2023

≪今日のコペル(臨床自然運動学)先生の独り言≫
筒井重行が提唱する「臨床自然運動学」
からだ日記と自然運動と白隠の環(メビウスの輪)その16

今回紹介している絵は、「蓮池観音図」です。
作者は、白隠慧鶴です(江戸時代中期の禅僧)。

白隠は多くの観音像を描いています。頭上に高い宝冠、天衣をまとう。
それは、沼地から清浄な花を咲かせる蓮にたとえています。
観音が混沌とした現世に苦悩する人々を救ってくれることを表しています。

「白隠禅師坐禅和讃」
衆生本来仏なり
水と氷の如くにて
水を離れて氷なく
衆生の外に仏なし
衆生近きを知らずして
遠く求るはかなさよ
たとえば水の中に居て
喝を叫ぶが如くなり
・・・・・・・・
ヒトの中に「宝珠」あり、それは「仏性=トキ」です。

「宝珠」とは、なんだろう???・・・・

「いのちの流れとは・・・・トキである」これを体感することが健康には必要、それにはこのシステムが・・・・・。

▪︎視床下部が制御する10系統の恒常性調節システム

① 概日リズム(体内時計)
② 自律神経機能
③ 免疫反応
④ 内分泌機能
⑤ 本能行動(摂食行動、飲水行動、繁殖・養育行動)
⑥ 熱エネルギー代謝(深部体温、栄養代謝)
⑦ 情動・記憶
⑧ 疼痛・感覚閾値
⑨ 歩行・運動
⑩循環動態(循環血液量、脳脊髄液動態)

いのちの流れと養生には、氣血津液の滞りをとり、慢性炎症の消火と視床下部症候群(脳室周囲器官制御破綻症候群)の改善が必要です。(視床下部症候群=hypothalamic syndrome)
それが身心の健康と養生につながります。ただ、日々いのちの流れを無心に感じることがその第一歩です。

自力(養生)と他力(トキ)、意識と無意識、陰(もの)と陽(うごき)、二つの迷走神経のはたらき・・・・・ 

いわゆる顎関節症の研究、臨床にたずさわってどのように「トキ」を過ごしたのだろうか?、まだまだ追求は・・・・・・・・ 
          凡夫なコペル

≪今日のコペル(臨床自然運動学)先生の独り言≫筒井重行が提唱する「臨床自然運動学」からだ日記と自然運動と白隠の環(メビウスの輪)その15今回紹介している絵は、「白隠の環」です。作者は、白隠慧鶴です(江戸時代中期の禅僧)。清洲で一枚の襦袢(じ...
04/03/2023

≪今日のコペル(臨床自然運動学)先生の独り言≫
筒井重行が提唱する「臨床自然運動学」
からだ日記と自然運動と白隠の環(メビウスの輪)その15
今回紹介している絵は、「白隠の環」です。
作者は、白隠慧鶴です(江戸時代中期の禅僧)。
清洲で一枚の襦袢(じゅばん)を作ったその重さは七斤(ななきん)であったとこの環の表裏に書かれています。
表には「在青洲作一領」、裏には「布杉重七斤」と書かれています。この環は「メビウスの輪」なのです。白隠禅師はドイツの数学者のメビウスが表裏の区別ができない曲面を発表する(1858年 多面体の体積の決定について)100年前に、「白隠の環」を書いています。
白隠禅師は、なにを伝えたかったのでしょうか・・・・・・。
私はメビウスの輪は「陰陽の本質」だと考えています。
陰陽は「可分不離」、「互根互用」、「対立制約」、「陰陽転化」、「陰陽消長(変化)」です。布袋は何をあらわしているのか?
可分不離とは、陰と陽は分つべくして、離すべからず。
陰と陽は一体であり、一体の中に陰と陽を見出すことができる。
東洋医学においては、陰陽論を診断の指標として使います。
▪︎ある現象や機能が発現するときに、必ず拮抗する2つの構成関係を分析する視点。
▪︎ひとつのように見えるものの中に、「2つの方向性」や「2つの力」の因果関係を見いだす視点。
▪︎陰陽の側面をもつ機能の役割分を診断する視点。
▪︎陰陽論を臨床に持ち込むには、抽象的な現象を正しく理解するために自分自身で確立した、「人体マンダラ図」を作り上げる必要があります。
「いのちの流れとメビウスの輪」と 東洋医学
▪︎陽(熱)と陰(水)の2つの視点で有機的に体の状態を把握する。
▪︎体の現象を熱と水それぞれの不足や過剰の状態として、「寒・熱」、「燥・湿」の二つの軸で立体的に分析する。
▪︎体の寒熱、燥湿の状態は臨床症状・舌所見・皮膚所見・髪所見を診ることが有益です。
▪︎人体を層構造で診ると、中心から陰(腎・脾) 陽(肝・心・肺)と広がる球体になります。
 この層構造の中心からの流れ・巡りが「いのちの流れ」になります。この流れは多次元的です。
▪︎夜間は陰を充実させ、日中は陽を充分に解放する事が陰陽共に育てる理想的な生活様式です。
いのちの流れは、陰陽の流れ巡りが基本になり、命の原初が「腎」となります。
この腎は心の影響を強く受ける存在です。
「病は氣から」と言われる理由がわかります。

≪今日のコペル(臨床自然運動学)先生の独り言≫筒井重行が提唱する「臨床自然運動学」からだ日記と自然運動と白隠の環(メビウスの輪)その14今回紹介している絵は、「布袋寿袋」「布袋解開」です。作者は、白隠慧鶴です(江戸時代中期の禅僧)。「布袋寿...
18/02/2023

≪今日のコペル(臨床自然運動学)先生の独り言≫
筒井重行が提唱する「臨床自然運動学」
からだ日記と自然運動と白隠の環(メビウスの輪)その14
今回紹介している絵は、「布袋寿袋」「布袋解開」です。
作者は、白隠慧鶴です(江戸時代中期の禅僧)。
「布袋寿袋」には、袋を広げる布袋の顔と横向きに描かれた
「寿」の文字が強い印象を残す迫力の作品です。
布袋は、庶民に慈悲の愛を惜しげもなく配っているかたです。
この「寿」とはどのようなものでしょうか?
法句経204番には、以下の内容が書かれています。
  ・心の安らぎ(涅槃)こそは最上の幸せなり(安楽)
  ・健康は最上の利益(めぐみ)
  ・満足は最上の財産(宝)
  ・信頼は最上の知己(えにし)
これらを、他者に惜しげもなく与えることの必要性を描いているのでしょうか?
なぜ、「寿」が横向きに描かれているのでしょうか?
袋を口でくわえていますが、これは「幸福」は「口福」であり、
日々、安楽の言葉を唱えるとよいと言っているのでしょうか?
「いのちの流れ」と 自然運動
白隠禅師が「健康」という概念を初めて使ったかたです。
大自然と小自然の「風の道」の形状とはたらきが、健康に関係しているようです。
それは、東洋医学、仏教でも同じだと捉えて良いようです。
健康を自分のものにするには、自分自身の体と心の声を無心に聴く必要があります。
「健康」とは、「健」は(すこやか)と、「康」は(やすらか)から構成されています。
「病は氣から」と先人が表現しているように、
「今」というこの瞬間を豊かに楽しく紡ぐことが、病気にならず、
病気があっても元気に生きる、健康な生き方につながると感じています。
病気のみに気持ちを向けず、いのちの流れに意識を切り替えることで、
人生を活き活きと楽しく過ごすことができます。
長寿とは、先を心配するのでなく、
「今」、「今」、「今」・・・・・を体の声を聴きながら健康に過ごすことなのです。
健康を日々、無意識に活き活きとコントロールする高次制御システムを人間は生まれた時から自然に持っているのです。
このシステムを動かすスイッチが、「自然運動」なのです。
この行為は、医学・医術であって呪術ではありません。
未病の早期発見による養生、病気の早期発見による治療の二つを実践することが生活の中で必要です。           凡夫なコペル

≪今日のコペル(臨床自然運動学)先生の独り言≫筒井重行が提唱する「臨床自然運動学」からだ日記と自然運動と白隠の環(メビウスの輪)その13今回紹介している絵は、「大名行列図」57.0×132.7cmです。作者は、白隠慧鶴です(江戸時代中期の禅...
11/02/2023

≪今日のコペル(臨床自然運動学)先生の独り言≫
筒井重行が提唱する「臨床自然運動学」
からだ日記と自然運動と白隠の環(メビウスの輪)その13
今回紹介している絵は、「大名行列図」57.0×132.7cmです。
作者は、白隠慧鶴です(江戸時代中期の禅僧)。
「大名行列図」の賛には、「かねての課題であった達磨の真面目を描くことができたので、依頼主の自性寺の和尚にお届けする」と書かれている。
十二月の端午の節句に描いたこの絵がわからねば、羊の鞭打って木の人形の問え」という意味だ。
意味がいまひとつ不分明なのは、禅問答めいているせいだ。
雄大な富士をバックに大名行列が通り過ぎるところを描いている。
描かれた人物はあわせて164人に上がる。なぜこんなにも多くの人物を、丁寧に描いたのか。
この中で、二人を除いて全員が前方を見ており、富士山(不二)には意識が向いていないです。
不二は原初の世界、大名行列は現世の世界、この二つの世界が腑に落ちているか、感得しているかを問われているようです。
「自己と自我は活き活き揺らいでいる」と 自然運動
白隠禅師が「健康」という概念を初めて使ったかたです。
大自然と小自然の「風の道」の形状とはたらきが健康に関係しているようです。
それは、東洋医学、仏教でも同じだと捉えて良いようです。
二つの道の調整には、無数のアプローチが存在しているようです。
姿勢、手の形、口のはたらき(呼吸、言葉、その他)、瞑想などです。
姿、手の形に変化(ゆらぎ)を与えると、風の道の調整が始まる。
日々、大自然と小自然の風の道の調整を意識や無意識でおこなう必要がありますが、人間の「火宅の煩悩・我」が問題を起こします。
それでも、日々活き活きした努力を続けたいものです。
自然運動は、「大いなる無心のあそび」です。
自然運動は、「大いなる無意識の奥底から発信する」
自然運動は、「はるかな昔の赤ちゃんの記憶に沈んだ記憶」
             凡夫なコペル

≪今日のコペル(臨床自然運動学)先生の独り言≫筒井重行が提唱する「臨床自然運動学」からだ日記と自然運動と白隠の環(メビウスの輪)その12今回紹介している絵は、「半身達磨図です。192×112cm作者は、白隠慧鶴です(江戸時代中期の禅僧)。「...
22/01/2023

≪今日のコペル(臨床自然運動学)先生の独り言≫
筒井重行が提唱する「臨床自然運動学」
からだ日記と自然運動と白隠の環(メビウスの輪)その12
今回紹介している絵は、「半身達磨図です。192×112cm
作者は、白隠慧鶴です(江戸時代中期の禅僧)。
「半身達磨図」には、「直指人心見性成仏」と書かれている。
直指人心見性成仏(じきしにんしんけんしょうじょうぶつ)とは、
経説によらずに坐禅によって心の本性を見きわめ、人の心と仏性とが本来一つであると悟って仏道を完成させることのようです。
人間には、仏性が元々存在しているのです。
この存在を体感するには、自我のはたらきを無始に戻す必要がありそうです。
これは、至難の業です。自分が存在する限り・・・
「自己と自我は活き活き揺らいでいる」と 自然運動
白隠禅師が「健康」という概念を初めて使ったかたです。
そこには、現代医学の見落としを気づかせてくれるものが存在すると思われます。
病気の始まりは、原初の存在を忘れてしまったことから起きているのではないでしょうか。
これを意識しながら、日々の養生をつとめることが重要です。
そして病名が診断されても無心に養生をしながら、治療の受ける必要があります。それは、自分で行う未病の治療です。
白隠禅師は、坐禅と禅画などでこのことを我々にご教授されたの
ではないでしょうか・・・・・
我々はただ、自己と自我の風の道の「間合い」を意識しながら
生・老・病・死を楽しく活ること
・生を活きる
・老を活きる
・病を活きる
・死を活きる
人間は、この四つの苦を楽しく活き活き生ききるには、「無心の
不生」を身読することが求められているようです。
広大な宇宙と私たち自身の内部を探究する冒険の旅を、自分の身心を使って始めてみませんか。
青春の門から、寿秋(すしゅう)の門へ    コペル

≪今日のコペル(臨床自然運動学)先生の独り言≫今年最後の投稿です、じっくり読んでいいね!してください!筒井重行が提唱する「臨床自然運動学」からだ日記と自然運動と白隠の環(メビウスの輪)その12今回紹介している絵は、「傀儡子」(くぐつし)です...
27/12/2022

≪今日のコペル(臨床自然運動学)先生の独り言≫
今年最後の投稿です、じっくり読んでいいね!してください!
筒井重行が提唱する「臨床自然運動学」
からだ日記と自然運動と白隠の環(メビウスの輪)その12
今回紹介している絵は、「傀儡子」(くぐつし)です。
作者は、白隠慧鶴です(江戸時代中期の禅僧)。
「傀儡子図」は、人間は大自然の原初とつながっており、この宇宙の中心から常に見守られていると表現しているようです。
このつながりは時空を超えて、全生物にも影響を与えておりこの関係性は「空」の思想(無心)にもなるようです。
人間は、自分の意志で考え行動していると思っているようです。
しかし、実際は大自然の意志(仏性)が中心にあるようです。
これを白隠禅師は「傀儡子図」で表現しているのかな?。
どれが本来の自分なのか、よく静かに自分自身を観る必要がありそうです。
古代人は、大自然と交信していたのではないでしょうか?
それは、土器や埴輪に市松模様を描いていたことから想像できます。
現代人が宇宙と交信するには
ただ、静かに座って無心で自分を観るしかないようです・・・
「自己と自我は活き活き揺らいでいる」と 自然運動
白隠禅師が「健康」という概念を初めて使ったかたです。
そこには、現代医学の見落としを気づかせてくれるものと思われます。
病気の始まりは、原初の存在を忘れてしまったことから起きているのではないでしょうか。
これを意識しながら、日々の養生をつとめることが重要です。
そして病名が診断されても無心に養生をしながら、治療の受ける必要があります。それは、自分で行う未病の治療です。
白隠禅師は、坐禅と禅画などでこのことを我々にご教授されたのではないでしょうか・・・・・
我々はただ、自己と自我の風の道の「間合い」を意識しながら
生・老・病・死を活ること
・生を活きる
・老を活きる
・病を活きる
・死を活きる
人間は、この四つの苦を楽しく活き活き生ききるには、
「無心の不生」を身読することが求められているようです。
我々は、広大な宇宙と私たち自身の内部を探究する冒険の旅を、
自分の身心を使って始めてみませんか。 コペル
★一年間、一緒にお付き合いくださりありがとうございました。
皆様の健康と平安を願い一年を過ごせました。
一年間本当に、ありがとうございました。
からだの声を聴いて、養生を日々心掛けて
よい年をお迎えください。コペル

≪今日のコペル(臨床自然運動学)先生の独り言≫筒井重行が提唱する「臨床自然運動学」からだ日記と自然運動と白隠の環(メビウスの輪)その11今回紹介している絵は、「芦葉達磨図」(あしのはだるま)です。作者は、白隠慧鶴です(江戸時代中期の禅僧)。...
16/12/2022

≪今日のコペル(臨床自然運動学)先生の独り言≫
筒井重行が提唱する「臨床自然運動学」
からだ日記と自然運動と白隠の環(メビウスの輪)その11
今回紹介している絵は、「芦葉達磨図」(あしのはだるま)です。
作者は、白隠慧鶴です(江戸時代中期の禅僧)。
「芦葉達磨図」は、平面的でなくピカソの絵のように空間を立体に捉えています。これは、人間存在を時間と空間を超越した存在として捉え表現しているように観えます。 
大自然は、わずかに声は聞こえるが、その全体像・真面目の姿は見えないがそれは自分自身の中にあるようです。
芦の葉に乗る横向きの坐禅像の人物の顔は、あの“どう見ても”の横顔にかなり近い。
達磨大師は、梁武帝との問答の後、そこを離れて揚子江を渡って北魏へ向かい、のちに少林寺に入りました。この時、一枚の芦の葉に乗って揚子江を渡ったという説話があります。
嵐がくればオークは倒れるが、芦は立っているということわざもあり、アシは弱さと同時に強さも存在しているとされます。これは、「白隠の環」の意味合いと同じのようです。
アシは、自然浄化作用を保つ。
根茎を乾燥したものは生薬になり、盧根(ろこん)と称して、漢方では利尿、消炎、止渇、鎮吐作用がある。
“人間は考える芦である” 〜パスカル
芦は、無心の自然運動である 〜コペル
「間合いの稽古」と「色合い=間(あわい)」と 自然運動
心には、色合い(間)があります。
人間には心柱が存在しており、体の中心線を構成しており、光(大自然)と物質(小自然)=絵の具からなっています。
光の場合は、赤・緑・青という3つの色を混ぜ合わせるとだんだん白っぽく、明るくなっていきます。しかし、絵の具はいろいろ混ぜると真っ黒になって暗くなります。
ヒトとヒトの身心の間合いには、これらの要素が絡み合い、心のあわい(間)に入り込んできます。それは身心に動揺を与えます。
この時、自分の色合いを相手に合わせて変えると自分の本質を見失い、不安定に揺り動かされて、自分を見失ってしまいます。
これを防ぐには、光の力を借りる必要があります。光の明るさを取り込むことで、相手の絵の具の暗さの影響を軽減させるのです。
それには、自然に触れることです、実際に自然豊かな場所に行き新鮮な空気を腹一杯吸い込むのです。
自然の風に吹かれ、自然の星の下で大地に寝ることです。
そこには、自然の鼓動、ゆらぎ、かおりが満ち溢れています。
日々、自分と自然との「間合い」の稽古が自己本来の姿に触れることが可能です。無心な自分と自我の自分との間合いが問題のようです。   コペル

≪今日のコペル(臨床自然運動学)先生の独り言≫筒井重行が提唱する「臨床自然運動学」からだ日記と自然運動と白隠の環(メビウスの輪)その10今回紹介している絵は、「布袋吹於福図」です。作者は、白隠慧鶴です(江戸時代中期の禅僧)。「布袋吹於福」は...
07/12/2022

≪今日のコペル(臨床自然運動学)先生の独り言≫
筒井重行が提唱する「臨床自然運動学」
からだ日記と自然運動と白隠の環(メビウスの輪)その10
今回紹介している絵は、「布袋吹於福図」です。
作者は、白隠慧鶴です(江戸時代中期の禅僧)。
「布袋吹於福」は、身の丈ほどもある絹本に描かれた双幅です。
右幅では、煙管を手にした布袋が煙を噴き出し、左幅ではその煙の中からお福が現れています。
お福は、美醜の判断を超越し、人々に福をもたらす象徴です。
白隠布袋が人々の「福寿」を願って、精一杯吹き出しているところです。
信頼と慈悲は、最高の知己なのです・・・・・・・
「いなばのしろうさぎ」の物語の、うさぎとワニと大黒様の関係で出てくる「ガマの穂」が参考になります。
自我のガをとると「ま=間」が残ります、これを禅感覚で読み解き、間合いの稽古が「無心」の足がかりになるようです。
唱歌「大黒様」 作詞:石原和三郎
1.大きな袋を肩にかけ、大黒様が気かかると
 ここに因幡の白兎、皮をむかれて赤はだか
2.大黒様はあわれがり、きれいな水に身を洗い
 蒲の穂綿にくるまれと、よくよく教えてやり
 ました
3.大黒様の言うとおり、きれいな水に身を洗い
 蒲の穂綿にくるまれば、兎は元の白兎
4.大黒様はだれだろう、大国主のみこととて
 国をひらきて世の人を、たすけなされた神様よ
禅感覚(感性) と 「間」と「間合い」と 自然運動
禅感覚(無心)は、天地同根・万物一体感覚です。
この問題をほどくには、「間」、「間合い」、「自我」の色の
あわいとの関係性をよく理解する必要があります。
沈黙とは、「間」のことを指します。古くから日本では沈黙や静
寂と言った時間や空間の「間」を大切にしてきました。
武道で「間合い」が重要視されるのも一つです。「間合い」とは
相手との時間、空間、心理的距離のことを言います。
「間合い」が合わなければ、どれだけ強い人でも怪我をしたり威力
が半減したりします。
コミュニケーションでも同じことが言えます。私たちはどこまで相手に踏み込めるかを無意識に計っているのです。沈黙とは相手の存在を感じ、同じ時間を共有する中で、お互いが適切な距離を探していることかもしれません。〜人間関係・武術・自然〜
緊張状態が強い人は、人や仕事との「間合い」がうまく取れず自分の中心点と中心軸を、揺らされ不安定になります。
これを解決する方法としては、各自が持つ高次制御システムを活用することが必要です。
それは、調身・調息・調心の中心点(重心)と中心軸(重心軸)を基盤とした「間合い」です。調身は空間、調息は時間、調心は人間の間(あわい)を整えることです。それは、お薬の調剤と同じです。コペル

≪今日のコペル(臨床自然運動学)先生の独り言≫筒井重行が提唱する「臨床自然運動学」からだ日記と自然運動と白隠の環(メビウスの輪)その9今回紹介している絵は、「わいわい天王図」です。作者は、白隠慧鶴です(江戸時代中期の禅僧)。「わいわい天王」...
30/11/2022

≪今日のコペル(臨床自然運動学)先生の独り言≫
筒井重行が提唱する「臨床自然運動学」
からだ日記と自然運動と白隠の環(メビウスの輪)その9
今回紹介している絵は、「わいわい天王図」です。
作者は、白隠慧鶴です(江戸時代中期の禅僧)。
「わいわい天王」は、羽織・袴・両刀、天狗あるいは猿田彦の面をつけ、「牛頭天王」と書いたお札を「わいわい天王、騒ぐがお好き」と叫びながらまく、そして金銭を乞うという類の願人
坊主です。
のちに発展した浪曲以外にも、門付け、大道芸として普及しました。
からだ日記の中で、皮の袋に入った血と肉と骨が、中でバラバラになって、ブルブルっと揺らすと氷枕の中の氷と水のように、ぶつかり合ってゴロゴロと鳴るイメージがあります。
この表現で、私の記憶の中から次の事柄が湧き上がってきました。
それは、白隠禅師坐禅和讃です。
衆生本来仏なり
水と氷の如くにて
水を離れて氷なく
衆生の外に仏なし
・・・・・・・・・
大自然(仏)と水と氷の関係とは・・・・
人体の内部で何が起きているの?・・・・・・
それは、禅感覚?、大自然の生命の活き?、
天地同根・万物一体?
そして、唯識の末那識・阿頼耶識の世界感覚?・・・・・・・・
禅語(禅の言葉)〜千里同風、明暗雙雙(めいあんそうそう)
無心の体感(感覚) と 自然運動(無心・有心ゆらぎ)養生法
からだの中である特殊な感覚が発生しているようです。
それは、「本来無一物」「無心」などと言われているものです。
「本来」という語は、もともとという意味でなく、「本質的に」とか、「根源的に」ということです。また、「無一物」は何も無いということではなく、有と無の両方を超えた次元を意味しているようです。
したがって「本来無一物」は、有も無もそこから出てくるような「根源」、「原初」を表現しているようです。
自然運動の働きには、自然界の見えないはたらきをイメージとして、人間に見せてくれる可能性があります。
もし、「本来無一物」という感覚を体感会得できたならば、どんなにか安楽に生きてゆけることでしょうか。
蘇東坡(そとうば)の句に、「無一物中無尽蔵」がありますが、そこには何ものにも束縛されない自在な創造性に満ちた世界が待っているようです。
我々は、まず日々の養生法の実践から始めてみませんか。
私は、今ここでは「るす」です。
しかし、新たな私は「本来無一物」の感覚の道を通って五億年たったら帰ってきます。 コペル

≪今日のコペル(臨床自然運動学)先生の独り言≫筒井重行が提唱する「臨床自然運動学」からだ日記と自然運動と白隠の環(メビウスの輪)その8今回紹介している絵は、「布袋携童図」です。作者は、白隠慧鶴です(江戸時代中期の禅僧)。布袋は唐代に実存した...
21/11/2022

≪今日のコペル(臨床自然運動学)先生の独り言≫
筒井重行が提唱する「臨床自然運動学」
からだ日記と自然運動と白隠の環(メビウスの輪)その8
今回紹介している絵は、「布袋携童図」です。
作者は、白隠慧鶴です(江戸時代中期の禅僧)。
布袋は唐代に実存したとされるお坊さんで、町に出かけて説法するのが好きで、供物がたくさん入った袋を持って歩いていたので、その名がついたと言われています。
日本では、七福神の一人として有名です。
子供の手をひいている布袋さんが笑っている。
笑いは元気のもと。いつも笑いを振りまいている布袋さん。
病魔も居心地が悪くて寄り付かないようです。
泣いて暮らすも一生、笑って暮らすも一生。同じ暮らすなら笑って暮らせというのが、布袋さんの教えです。
この図では、布袋さんが傘を持っています、この傘に蓮の絵が書かれています。この傘で子供をかざしています。
傘は何を、あらわしているのでしょうか?
法句経 204番
健康(無病)は、最高の利得であり
足るを知るは、最上の宝であり
信頼は、最高の知己であり
ニルヴァーナ(涅槃)は、最上の安楽(さいわい)である
             コペル訳
健康 ・笑いと 自然運動(無心・有心ゆらぎ)養生法
からだ日記の中に、自然運動の中でからだの変化と共に色んな感情の変化も出てきます。臨床を30年近くやってきてやっとこの内容が理解できるようになってきました。
体と心の変化は、あたまで考えるのではなく、自然の風にまかせて、あたまをカラッポにしていれば良いのです。それが身心の健康につながるようです。無心(大・小) 即ち 健康(大・小)
◎日本でこの「健康」という言葉を文献で始めて使った人が、白隠禅師なのです。戦国時代が終わり、人々は身体の堅剛さだけでなく「心」の安らかさを求め、「健体康心」(けんたいこうしん)を願い「健康」を考えたと思われます。古くから、色力康健などと
「康健」が使われていたようです。康福、康楽、康強、康癒・・
では、健康の定義とはなんでしょうか?
WHOの健康の定義は・・・・・・
Health is a dynamic state of complete physical,
mental ,spiritual and social well-being and not merely
the absence of disease infirmity
健康とは、肉体的、精神的、霊的および社会的に完全に幸福な流動的な状態であり、単に疾病または病弱がないということではない。健康の秘密を読み解くには、白隠の環の解読と二つの迷走神経の働きの認識が必要です。

≪今日のコペル(臨床自然運動学)先生の独り言≫筒井重行が提唱する「臨床自然運動学」からだ日記と自然運動と白隠の環(メビウスの輪)その7今回紹介している絵は、「布袋すたすた坊主図」です。作者は、白隠慧鶴です(江戸時代中期の禅僧)。布袋は唐代に...
07/11/2022

≪今日のコペル(臨床自然運動学)先生の独り言≫
筒井重行が提唱する「臨床自然運動学」
からだ日記と自然運動と白隠の環(メビウスの輪)その7
今回紹介している絵は、「布袋すたすた坊主図」です。
作者は、白隠慧鶴です(江戸時代中期の禅僧)。
布袋は唐代に実存したとされるお坊さんで、町に出かけて説法するのが好きで、供物がたくさん入った袋を持って歩いていたので、その名がついたと言われています。
日本では、七福神の一人として有名です。
「すたすた坊主」というのは、江戸時代にいた、忙しい人々の代わりに神仏にお参りに行くと称して、芸を見せたりしてお金をもらっていた人たちのことです。
「来た来たまたきた、いつも参らぬさひさひ参らぬ、すたすた坊主、ゆんべも三百はりこんだ、それからはだかの代参り」などと書いてありますが、実際にこんなことを唱えながら、持ってい
る竹の小枝で自分の体にぴしゃぴしゃ水を掛けながら、みずごりなどをしていたようです。
右側に「布袋どらをぶち すたすた坊主なる所」とあります。
「どらをぶつ」とは、道楽のこと。
布袋さんにとっての道楽、つまり説法が過ぎてすたすた坊主になってしまっても、みなさんの福を祈りましょうという意味だと解釈されています。
「すたすた坊主像」は、白隠自らの生き方を表した禅画です。
はだか一貫になっても、全てを投げ出して人々を救う。
泣いて暮らすも一生、笑って暮らすも一生。同じ暮らすなら笑って暮らせというのが、布袋様の教えです。
すたすた坊主(布袋)・退歩 と 自然運動(ゆらぎ)
からだ日記の中に、自然運動の中でしぜんに子供にもどっていき、夢の中で色んな問題を解決してゆき、笑いながら目覚めていくとあります。
禅の言葉で「退歩」があります。
禅では「進歩」が外的対象に着目する姿勢を言いますが、「退歩」は、心を問題にする姿勢を意味しています。
自然運動は、失われた身体感覚を取り戻す反応の要素も含んでいるように思えます。
すたすた坊主(布袋)の歩む方向は、退歩の方向でそれは原初に向かっているのではないでしょうか?
この退歩の感覚をとりもどすには、色んな方法があるようです。
それには、まず頭を空っぽして、自然の風を楽しむ事が必要です。
我々のご先祖さまであるホヤは、海中で流れに身を任せ揺らいでいました。その感覚を取り戻すのです。
しかしこの感覚は、現代人は喪失しているようです。
どうすれば、取り戻すことができるのでしょうか?
自然運動の中には、身体の修正、心の調整、魂の目覚めなどの無意識のセルフケアーが含まれているようです。
また、日本古来の作法、動作、型、養生法等も参考になります。
無意識、原初、退歩、自然運動・・・・・未知の人体構造・働き

≪今日のコペル(臨床自然運動学)先生の独り言≫筒井重行が提唱する「臨床自然運動学」からだ日記と自然運動と白隠の環(メビウスの輪)その6今回紹介している絵は、「馬上才図」です。作者は、白隠慧鶴です(江戸時代中期の禅僧)。これは、布袋さんらしき...
02/11/2022

≪今日のコペル(臨床自然運動学)先生の独り言≫
筒井重行が提唱する「臨床自然運動学」
からだ日記と自然運動と白隠の環(メビウスの輪)その6
今回紹介している絵は、「馬上才図」です。
作者は、白隠慧鶴です(江戸時代中期の禅僧)。
これは、布袋さんらしき人物が持つ瓢箪から、水が糸を引くように飛び出し、その上を走る馬とその上で演技する人物が描かれています。
これは、朝鮮通信使に、馬上才の馬と曲芸師が随行している構図。
白隠は、日本の外交的危機を救った人物として「規伯玄方」を評価して、この「馬上才図」を書いたとされています。
さらに、白隠は全ての物は、宇宙の中に存在するものですので、ヒトは、既に瓢箪の中にあるとしています。
もろもろの問題は、心が馬の上で曲芸するように不安定で、そして自分の存在位置を理解していないことから、始まります。
瓢箪を、周辺なき無限大の球体で、至る所が中心となる存在と観ると、人間は自我(意識)を捨て、自己(無意識)の壁を破り、大自然の中心となる事で何か見えてくるものがあるようです。
ヒトは、宇宙の「ちり」であり、この塵の中に全宇宙があり、この塵が宇宙を構成しているのです。
瓢箪と自然運動
自然運動が起きると、体と心に色んな感覚、イメージが起きてきます。
からだ日記の文中にお多福、イメージ、ストーリー、穴をぬける、田園風景、ハッピーな気分、膨れる、蓋などの表現があります。
これをどのように読み解けば良いのでしょうか。
いまだに、解明不能ですが、現在行っている治療では新たな発見があり、キーワードとして自然運動、無意識、ひょうたん、大宇宙、再生等を組み合わせることで解明の糸口が見つかる予感がします。 
新たな治療法では、
その時、その時、頭に浮かぶ事や意識にフォーカスせず、ただ流し続ける感覚が出現します。
あとは時々、自分の呼吸に気付くというか、呼び戻されるというか、あっちとこっちを行ったり来たりしている体感が出現します。
自然運動は、瓢箪の入り口を出入りする現象かもしれません。
それは、・・・・・・・          コペル

≪今日のコペル(臨床自然運動学)先生の独り言≫筒井重行が提唱する「臨床自然運動学」からだ日記と自然運動と白隠の環(メビウスの輪)その5今回紹介している絵は、鍾馗鬼味噌図(しょうきおにみそず)です。作者は、白隠慧鶴です(江戸時代中期の禅僧)。...
29/10/2022

≪今日のコペル(臨床自然運動学)先生の独り言≫
筒井重行が提唱する「臨床自然運動学」
からだ日記と自然運動と白隠の環(メビウスの輪)その5
今回紹介している絵は、鍾馗鬼味噌図(しょうきおにみそず)です。
作者は、白隠慧鶴です(江戸時代中期の禅僧)。
これは、鍾馗がスリコギで味噌をすっている図柄。
すり鉢の中には四匹の鬼がいます。
鬼は、人間の煩悩の化身をあらわしています。
それらをすりつぶした味噌を食えば、煩悩から解放され成仏できる?・・・・・・・・
右上の賛には「鬼みそばかりは、むごふとてすりにくひものじゃ」とある。
左下で摺鉢を押さえている、鍾馗の息子は「ととさ、鬼みそをちとなめてみたい」と言って、食欲の前にむごたらしさの感覚は退いている。
鍾馗(しようき)は、疱瘡除けや学業成就に効があるとされ、端午の節句に絵や人形を奉納したりします。
鍾馗さんはすり鉢の中の何をすりつぶそうとしているのでしょうか。
それは・・・・・


不依倚一物(ふえいいちもつ)と自然運動
からだ日記の文中に、心の中に依存心のような物を自覚してとあります。
この問題を読み解くために、今回は「不依倚一物」という言葉をご紹介いたします。
無意識の自然運動を正しく理解するには、不依倚一物(ふえいいちもつ)という言葉を読み解くことが良いようです。
自分の中に、ある不思議な力が存在しています。
人体には、高次制御システムが機能しており、これを補足する日々養生が基本になります。
術者が何かのエネルギーを注入しているのではなく、人体のシステムのスィッチを単に押しているだけなのです。
それは、生まれた時から、自分自身の中にある無意識の原初の存在があるからです。
この中に、無意識の自然運動も含まれているかもしれません。
自然運動を、正しく体の声を聴きながら体感することをお勧めします。 
人間が何かに依存する原因は、不安・苦しみ・痛み・恐怖により自己肯定感が安定しないことです。
依存は、生体のエネルギーの流れを阻害し、色んな問題を起こします
これを解決するにはどうすれば良いのでしょか・・・・・・
それは「あわい海」を泳いで対岸に行こうとする無心の意志が大事なのではないでしょうか? コペル

≪今日のコペル(臨床自然運動学)先生の独り言≫筒井重行が提唱する「臨床自然運動学」からだ日記と自然運動と白隠の環(メビウスの輪)その4今回紹介している絵は、群盲撫象図(ぐんもうぶぞうず)です。作者は、白隠慧鶴です(江戸時代中期の禅僧)。これ...
29/10/2022

≪今日のコペル(臨床自然運動学)先生の独り言≫
筒井重行が提唱する「臨床自然運動学」
からだ日記と自然運動と白隠の環(メビウスの輪)その4
今回紹介している絵は、群盲撫象図(ぐんもうぶぞうず)です。
作者は、白隠慧鶴です(江戸時代中期の禅僧)。
これはインドから伝えられた逸話を、白隠禅師が描いたものです。
はじめの「群盲」とは、複数の盲目との意味。
後半の「象を評す」「象を撫でる」とは、象のことを評するとの意味になります。
意味は、断片的な情報で全てを理解したと思うと、間違った考えを持ってしまう。
木を見て森を見ず、のことわざにも通じる意味になります。
触れるには、表層と深層、両者の間(あわい)の三層を意識する必要があります。
無意識のセルフケアーとしての自然運動には、量と動きの方向性の2つが存在しています。
自然運動は、①微細な動き、②小さな動き、③大きな動き、④重力の解放の動きがあるようです。
この自然運動を見極めるには、時空を超えた多次元的な目線が必要です。
この運動をコントロールしている存在はどこにあるのか?
特に臨床の現場では、ささやかな気づきを患者さんと共有することが非常に大事なようです。
無意識の自然運動を理解するには、自然界に目を向けると参考になります。
脳の「コリ」をほぐし、体の「コリ」をほぐし、間(あわい)を抜ける。
それは、“間抜け”になること。
そして、自由になり安心につながり、自己肯定感が増大していく。
生・老・病・死の風に乗るには、“間抜け”になることだ・・・・・
全てが、空っぽになる。  コペル

住所

Nakano-ku, Tokyo

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