院長プロフィール
治療家の仕事を志す前まで、私は空手の指導者として、子供から大人まで沢山の道場生を指導していました。
道場生達が自分の限界を乗り越えて、黒帯を取得する姿に勇気を頂きました。
ただ、練習や試合での怪我が原因で空手を離れていく道場生もいて、指導者するうえで何か改善できることを考えていました。
しかし、当時は医学的な知識が全くなかったため、医学的な知識を身につけたいと思うようになってきたのです。
医学の知識に興味を持ち始めた私は、大学をでると治療家の道を志しました。
そして、昼間は整骨院で下働きをしながら夜学に通って整骨・鍼灸の知識を学び、その後は時間を作り空手の練習をこなすという生活を続けていました。
空手において、私は体も細く強い選手ではありませんでした。
でも、自分が指導していた道場生達に努力を続けていけば、結果に繋がるということを証明したかったので、一度でいいので社会人になっても大会で優勝をしたいという目標をもっていました。
今思い返すと、若さに任せてハードな毎日を過ごしました。
整骨院で修業時代は、朝から夕方まで整骨院で仕事をこなし、夜は勉強して、その後は22時前から道場で練習をする。
心身ともに疲労困憊で、何度もやめようと思いましたが5年たったある日、空手の大会で10代20代の若手を抑えボロボロになりながらも優勝することができました。
試合が終わったときは今までの努力が報われた気がして涙が零れ落ちました。
その1年後には国家試験に合格し、合計6年で柔道整復師と鍼灸師のライセンスを取得できたのです。
その後、整骨院での下働きを終え空手を引退した私は、さらに医学の知識を深めようと次は病院に勤務してお医者さんの下で修業しました。
病院に勤めることで病気や、怪我のことをさらに深く学び、自分が独立した時に沢山の人を助けたいと思っていたのです。
しかし、病院では医療の専門用語でのやり取りが多く、入社当初は何もわからない状態でした。
他の医療スタッフからは馬鹿にされ、使い走りのような扱いを受けることになりました。
こんな状態ではいけないと、毎朝1時間早く病院に出勤し今まで知らなかったレントゲンやCT検査といった医療機器のこと、さらに毎日の診療の中で分からなかったことを夜中まで勉強する日が続きました。
寝不足で顔がいつもガサガサしていましたが、少しずつお医者さんの言うことを理解できるようになってきました。
こんな生活を続けていると、病院にも私の事をも応援してくれるお医者さんや医療スタッフの方が増えてきました。
中には「柔道整復師のイメージが変わった」「若いのに頑張ってるな~」と、私を応援してくれるようになってきたのです。
さらに、病院の院長からは「病院で鍼治療もやってみてはどうか?」と、専用の治療ブースまで用意して頂けました。
こうして、4年間勤めた病院を退社して、兵庫県小野市でこころ鍼灸整骨院を開業できたのです。
現在、私の治療院には兵庫県のみならず、他府県からも多数の患者さんが来院してくださっています。
そして、今では休日に30名上の治療家たちを対象に技術を教える講師をする機会まで頂きました。
これからも沢山の患者さんを健康に導けるように、技術を研鑽し人間としても成長していくつもりです。
しかし、毎日患者さんを施術する中でどうして治せない症状がありました。
それは、思春期の子供に何の前触れもなく発症し、背骨が曲がったまま固まってしまう“側弯症”という病気や、心の病による“不登校”といった問題でした。
こうした問題は早期治療が大切で、深刻化すると手が付けられないことを知りました。
ですので、早い段階で子供たちを治療できるように、無料の相談会を各地域で開催するようになりました。
相談会に集まる子供達の中には、側弯症で手術を勧められている子供もいますし、心に病を抱えて不登校になっている子供もいました。
子供たちに話を聞くと「学校に行きたくても行けない…」
「手術なんてしたくない…」と教えてくれました。
正直なところ、こうして子供達と関わる機会を持たなければ、本当の悩みをくみとれなかったのではないかと思います。
日本では手術しかないと言われている側弯症もあきらめずに治療法を探していると、ドイツに側弯症を治している技術があると知り、仕事の休みを費やし、寝る時間を惜しんで技術を習得してきました。
そんな取り組みが実を結び、側弯症の子供は治療を続けていくことで手術を受けなくても良い状態まで回復しました。
さらに、不登校の子供は復学し「最近学校が楽しい!部活にも戻れたよ」と、私に教えてくれたのです。
こうして今まで学んできたことを活かし、様々な患者さんの笑顔を見ることが私の喜びでもあります。
もし、お悩みごとがありましたら1人で悩まないでお気軽にご相談ください。