26/08/2025
<精神療法と遊び>
精神療法と遊びは深い関係があると聞いて、皆さんはどう思われますか。たしかにそうだと思われる方もいるかも知れないし、遊び半分でなんて不真面目だと眉をひそめる方もあるかもしれません。実際に遊んでいる子どもたちを見てみると、暇つぶしとは本質的に違う事に気が付きます。とても真面目に遊んでいるのです。真面目というよりも夢中で遊んでいると言い換えたほうがいいかもしれません。この夢中というのが重要で、精神療法においては、自由画でも箱庭療法でも夢中になるということがセラピーの成功の鍵を握っています。以前、トリックスターについて話題に上げました。トリックスターをはじめとした心的な機能は通常の意識下では活動が制限されています。そういう状況ですので、<意識>が夢中になっている隙をついてそれぞれが暗躍ができるようになるわけです。この「暗躍」は意識にとっては「統合」を危うくする異質なものですが、だからこそ硬直した状況を破る新風を入れてきます。面白いことに遊びにおいてはこの危うい「統合」がかえって「夢中」の継続の条件を担っているように思われます。想像してみるとそうだと思いますが、遊びではすべてが思い通りになると途端に遊びへの情熱が冷めてしまいます。適度にアクシデントがあることが面白さであり、危うい「統合」が遊びが継続する条件になっています。
セラピーではクライアントが夢中になるかどうかが重要であるという話をしました。しかし精神療法を実践された方はわかるかもしれませんが、実際にクライアントが夢中になっていくには時間がかかります。相当数のケースで夢中になる前に中断してしまうのではないでしょうか。これが導入の難しさです。一方遊びでは呆れるくらい導入がスムーズです。見知らぬ子ども同士が公園で出会って、ろくな自己紹介もせずに遊びが始まるケースを見たことがあるでしょう。この違いは遊びにおいては、遊びの空間とも言うべき特別な現実性を持った空間があるのです。想像してみてほしいのですが、あなたが一人で砂場の横に座っていたとして、一人の子供が砂団子を差し出して、「お団子どうぞー」と言ったとします。おそらくあなたはノータイムで「ありがとーもぐもぐ、おいしー」と応じるのではないでしょうか。子供もあなたも団子が砂であることは十分わかっています。重ねて、いくら子供でも砂の団子が食べ物でないことはわかっています。それでもなお遊びの空間では十分にお団子である現実性を持っています。また自分のつくった団子が相手の口のあたりで崩されて地面に落ちてしまってもそれは「食べられた」のであって、十分報われたと感じる事ができるのです。この虚構(嘘)であるとわかっているけども強固な現実性が遊びの空間の特徴です。それなのでそこで経験したことは十分に実体験として感じられ、本人の成長の糧とすることができるのです。またほとんどすべての人がその空間に誘われていく肌感覚をすでに知っているのも遊びの導入がスムーズな原因です。このためほとんど言葉を必要としません。一方セラピーでは遊びの空間にちかい、いわばセラピー空間が必要なのですが、いかんせんクライアントにはその経験がありませんから、非日常的な空間であること。夢中になっても許さされる空間であること。時間が限られていること。などセラピー空間を理解していく過程が必要です。したがってセラピーが本格的に導入になるまで時間がかかってしまうのです。この期間に行われていることを「(精神療法の)枠をつくる」といいます。枠がつくられてしまえば遊びの場合と同じ様にセラピー空間に入っていくことができます。入ってしまえばその空間内での夢中の活動経験が本人の成長の糧となるところは遊びの場合と同様です。以下に小説においての、セラピー空間にすっと入っていく様子をえがいた例を挙げます。
”誰もいない待合室、そこでボーッと「今日は何を話そうかな」と思う。そう思っているだけで、考えがまとまるわけではない。それが不思議なことに、先生と向かい合い、先生が「どうぞ」というように私をみる。すると、次から次へと、私の口から言葉が出てくるのだ。「わたしってこんなにお喋りだったのか」と、自分でも驚くほどなのだ。”(作品:限界 文芸社 著者:東郷知可)
上記では先の砂場の例と同じようなスムーズさでセラピー空間に入っていっています。夢中の効果で「統合」が緩められ、本人の驚くほどの変化が生じています。精神療法の枠がしっかりできている例だとと思います。クライアントだけでなくセラピスト側も枠やセラピー空間についてよく理解されているのでしょう。
述べてきたようにセラピー空間は遊びの空間とかなり似ているので遊ぶこと(特に子供さんと)は治療者にとっても良いトレーニングになります。ですから遊戯療法をベースにそのトレーニングを積んできたセラピスト方たちは、どのスタイルの治療面接も上手な印象があります。長くなりましたが以上のなります。今回は精神療法と遊びというお話でした。