27/11/2021
遺体ホテルへの反対運動が日本各地で起こっているというが、それを言ったら、韓国の病院にはたいてい葬儀場が(普通は病院の裏手に)付属している。病院でご臨終を迎えた後はそちらに移されてお通夜とお葬式をあげる仕組みである。合理的にして哲学的――memento mori(死を忘ることなかれ)――ですらあると小生は思うのだが、たぶん日本ではこういうシステムは無理だろうし、強いて導入しても日本社会はキモチ的にこれを受けつけないだろう。
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日本の場合、この記事にあるように世界的な近代化によって「死」が疎遠になっただけでなく、そこに伝統的な死穢(死のケガレ)の思想が複雑に絡み合っているところに問題があるように思う。
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もし単に近代化が「死を生活空間から遠ざけ」て「消費者意識は、市場に『汚れ仕事』と称されるものを請け負わせる性格上、進んで死にまつわる物事を素早くクレンジングする行為に加担する」のだとすれば、病院と葬儀場と、ついでに遺体ホテルや火葬場や納骨堂まで一緒に作ったら「消費者意識」はむしろそれを歓迎するだろう。しかし、人間は単に消費者であるだけではないので……。
もし、自分の家の隣に「遺体ホテル」が作られると聞いたらどうしますか? 各地で起きる反対運動の根底には何があるのか。評論家で著述家の真鍋厚さんは、死体を嫌がることは「究極の自己否定」だと説きます。日常